取材・文/坂口鈴香
写真/高木あつ子
群馬県片品村で農業を営む須藤カヲルさんは今年92歳。深くシワの刻まれた顔、曲がった腰と、どこにでもいるような農家のおばあさんだが、雑誌の人生相談回答者として、悩める女子を中心に人気を集めているという。夫婦や子育て、仕事に人づきあいなど、迷ったり困ったりしたときに心がラクになるカヲルさんの金言と日常をとらえた写真をまとめたのが、『人生はいーからかん』(カヲル組編、本体1500円+税、ヘウレーカ)だ。
書名の「いーからかん」とは、カヲルさんの口癖。「いい加減」という意味の方言で、ゆるゆるとこだわりのないさまをいう。編者・カヲル組の一人、カメラマンの高木あつ子さんに話を聞いた。
■「シワはな、人生の勲章だ。一生懸命生きてきた証さ」
人生相談の回答者としてカヲルさんを推薦したのが、カヲル組の瀬戸山美智子さんです。瀬戸山さんは20代で片品村に移住し、今はそこで家庭を持ち、炭アクセサリー作家として活動しています。私はいち読者としてカヲルさんの人生相談を愛読していたのですが、カヲルさんの痛快な回答を見るたびに、その源泉はどこにあるんだろう、もっと知りたいという思いが強くなり、写真を撮りはじめました。
そして、気がつくと10年が経っていました。
カヲルさんの夫、金次郎さんの葬儀の場面もカメラに収めています。最盛期には、村に200軒あった炭焼き農家も、今はカヲルさんの家1軒になっています。炭焼き名人といわれた夫の金次郎さんは、5年ほど前に亡くなりました。葬儀はまるで「金次郎さんの業績をたたえる会」のよう。皆淡々としていて、泣く人は誰もいませんでした。なかでも、カヲルさんの誇らしげな表情は印象的でした。
今、「林業女子」が注目されていますが、カヲルさんはまさに「元祖林業女子」。金次郎さんとともに、チェーンソーを持って山に入り、炭となる木を切っていました。ほかにも村の味噌づくりグループのリーダーとして、利益の配分やグループ作業の采配など、経営者としての才覚も発揮していました。
■「夢破れてどうしようもないときに、目の前に炭窯があった」
カヲルさんの人生は、平穏だったわけではありません。青春時代は戦争真っただ中だったし、最初の結婚では、出産の12日前に夫を交通事故で亡くし、子どもを婚家に置いて実家に戻っています。金次郎さんと再婚後は、国の農業政策に振り回され、天災に泣かされる……。もし私なら「時代が悪い」と怒りをぶつけるところかもしれませんが、すべてを飄々と受け入れ、働いてきたのがカヲルさんのすごいところです。
本の中に、「夢破れてどうしようもないときに、目の前に炭窯があった」という言葉があります。稲作も、養蚕もダメになり、家業を転換せざるを得なくなったカヲルさん。子どもを大学に進学させるときには牛を売ったそうです。私にも、大学受験に失敗して泣きながら新聞を見ていたら「これから受けられる大学、写真短大」という広告が飛び込んできたという経験があります。これが私にとっての写真のはじまりだったなと。こんなふうに自分の人生を「いーからかん」に振り返ることができるのが、この本のいいところだと思います。手前味噌ですが。
■「弱くなるのも自然現象さ」
カヲルさんを10年追って、「老い」に対する考え方は大きく変わりました。10年前、82歳だったカヲルさんに、私は「老い」を感じていました。腰が大きく曲がっても、生業があって、働くことで脳も動く。老いても仕事があることで、こんなに元気でいられるんだと思っていました。
でも、そのころのカヲルさんはまだ若かった。本当の「老い」ではなかったのです。味噌づくりも、金次郎さんの葬儀後も炭窯を見に行くほどだった炭焼きも、数年前に引退しています。92歳になったカヲルさんは、畑に行っても草をとるくらいしかできなくなりました。表紙の写真は、畑で寝てしまったカヲルさんです。まるで畑と一体化しているような姿は、ユーモラスで誰もがほっこりすると思いますが、これもカヲルさんがまだ畑仕事ができていたころのもの。80代の終わりでした。
カヲルさんの残り時間が確実に少なくなっているのを感じます。カヲルさんも家族も、明るく「いーからかん」に受け入れていますが、それもまた切ない。
でも私には、カヲルさんが何かすごいものを見せてくれているように思えます。日常の暮らしの中で、たとえ何もできなくなってもその存在自体に意味があるのではないか。カヲルさんには圧倒的な存在感があるんです。片品村という土地で、土とともに生きるとはそういうことではないかと思います。
カヲルさんを見てきて、自分はどんなおばあさんになるんだろう、自分に何ができるんだろうと考えるようになりました。田舎に移住し、田舎のおばあちゃんのようになりたいと憧れたこともありましたが、私にできるのは今まで続けてきたことを続けること――写真を撮り続けることだと気づいたんです。
カヲルさんから教わったのは、日々積み重ねることの大切さ。カヲルさんは「こうした方がいい」など、お説教じみたことは言いませんが、見ているだけでこちらの心の持ちようが変わる。大事なことに気づかせてくれるのです。写真にできるのも、カヲルさんが築いてきた土台がしっかりあるから。私にとって写真を撮ることは、自分の土台を固める作業でもあるのだと思っています。
談/高木あつ子さん
第一次産業周辺の撮影が得意なフォトグラファー。10年前の取材でカヲルさんと出会って以来、片品村に通ってカヲルさんの写真を撮り続ける。2017年には写真展「片品村のカヲルさん」を開催
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。