文/印南敦史
プラモデルと聞いて、何を思い浮かべるだろう。零戦、大和か。それともスーパーカー、ガンダムか。思い浮かべるものによって、だいたいその人が何歳ぐらいか想像できる。
平成三〇(二〇一八)年、プラスチックモデルが国産化されて六〇年が経った。その間に何千点というプラスチックモデルが作られたことであろう。かつて、昭和三〇年代、四〇年代生まれの男の子にとって、プラスチックモデルは必ず一度は作ったことのある、通過儀礼のような玩具だった。(本書「まえがき」より引用)
『日本プラモデル六〇年史』(小林 昇,著、文春新書)冒頭のこの文章に目を通しただけで、子どものころの記憶が蘇ってくるのではないだろうか? 著者の言うように、プラモデルはかつての子どもの日常と直結した玩具だったからだ。
それは私も同じだ。昭和40年代初頭のころ、我が家には下宿人がいた。彼らは、まだ幼稚園児だった私のことをとてもかわいがってくれた。いつも楽しみにしていたのは、下宿人のひとりである大学生から、ときどき声をかけられることだった。
「チューインガム買いに行こうか」
なぜ楽しみだったかといえば、「チューインガムを買いに行こう」という言葉は合図のようなものにすぎなかったからだ。つまりチューインガムではなく、彼はいつも決まってプラモデルを買ってくれたのだ。
「チューインガム買いに行こうか」=「プラモデルを買ってあげるよ」だったということ。そして帰ってくると下宿人の部屋に行き、ふたりでプラモデルをつくるのだった。向かい合って胡座をかき、ああでもない、こうでもないとプラモデルをつくる時間はとても楽しかった。
話がそれてしまったが、同じように多くの人が、プラモデルに関するなんらかの思い出を持っているのではないだろうか。そしてその思い出を振り返ってみると、必然的にそれぞれにとっての昭和の記憶が蘇ってもくるだろう。
国産プラモデルが生まれた昭和三三(一九五八)年前後は、日本が石油化学工業を中心とした産業構造に転換する時期にあたっていた。それまで木や陶器や紙で作られていたものが、どんどんプラスチックに置き換わっていった。一方でテレビが普及し、少年週刊誌が創刊されたのもこの頃だ。即席ラーメンが誕生し、東京タワーが建ったのはまさしく昭和三三年である。(本書「まえがき」より引用)
そう考えてみても、プラモデルの歴史を振り返ることにはやはり意味がありそうだ。この時代にプラモデルがどのように生まれ、どのように子どもたちに受け入れられたのかを検証すれば、それは間接的に昭和をなぞることにもなるからだ。
また今日に至るまで、オイルショックの波を受けたりしながらも、さまざまな ブームを生み出し、さまざまな人気商品を生み出してきた経緯をなぞってみれば、そこから幾多のドラマが浮かび上がってくるかもしれない。
プラモデルの歴史を紐解いている本書には、そういう意味で価値がある。しかも著者はそこから、これからのプラモデルが向かう方向を考えてみようともしている。
スターバックスが、環境汚染の元凶であるとしてプラスチックのストローを止めると宣言したり、コンビニやスーパーのレジ袋が規制されるなど、いまやプラスチックによいイメージはないかもしれない。
しかし本書においてはまず、かつてプラスチックが“夢の素材”であったという事実と、その背景に注目している。その流れが、1936年のイギリスでのプラモデル誕生につながり、その波が日本にもおよぶのだ。その結果、日本のメーカーは世界を席巻するほどに大きな潮流を生み出すことになる。
ゆえに本書でも、そのプロセスが克明に綴られる。
とはいえ当然のことながら、いくらプラモデルの影響を受けてきたからといっても、よほどのマニアでない限り、日常的にプラモデルのことを考えているわけではないだろう。
ここで紹介されている数々のトピックスが新鮮に感じられるのも、きっとそのせいだ。プラモデルとの距離が近くて遠いからこそ、読み進めていくと何度も「言われてみれば……」と納得させられたりするのだ。
たとえば個人的には、昭和34年に週刊少年マガジン(講談社)、週刊少年サンデー(小学館)と相次いで創刊された少年週刊誌が、プラモデルと密接に関連しあいながら、ともに成長していったという話に強く共感できた。
しかしその一方、少なくとも私のなかでのプラモデルがオイルショックのあたりで終わったことをも本書は実感させてくれる。「ガンプラ」や「ミニ四駆」が流行った時代、それらに心惹かれた経験がないからだ。同じように、美少女系フィギアやエヴァンゲリオン、食玩、ミリタリー系萌えキャラなども興味の範疇外だった。
それらの時代を否定したいということではなく、各時代についての情報が、買ったばかりのプラモデルのパーツのように整理されているからこそ、読者は「そのとき、自分がどこにいたか」を再確認できるのである。
また、もうひとつ注目に値するのが、巻末に収録された田宮俊作氏のインタビューである。星のマークでおなじみのプラモデルメーカー、株式会社タミヤ創業者である田宮義雄の息子であり、現代表取締役会長兼社長。
国産プラモデルが誕生したと言われている昭和33(1958)年に、株式会社タミヤの前身である「田宮商事合資会社」に就職し、以後プラモデルとともに歩んできた氏の言葉は、要所要所で我々の子ども時代の記憶に直結するのだ。
実はプラモデルは実物を単純に縮小しても、それらしく見えないのです。それなりのデフォルメを加えなくてはいけない。車だったら少し車高を低くするとか、飛行機ならばエンジンカウリングから風防にかかる部分を少し強調するとか。(本書164ページより引用)
こういう話を聞くだけでワクワクしてくるのは、決して私だけではあるまい。
『日本プラモデル六〇年史』
小林昇/著
文春新書
定価:880円+税
2018年12月発売
文/印南敦史
作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』などがある。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)。