幕末に来航したペリー提督の随行写真家の一族で、日本をテーマに写真を撮り続けている写真家のエバレット・ケネディ・ブラウンさんが、単著『失われゆく日本』を刊行した(小学館刊)。
エバレットさんは「湿板光画」と称される技法で写真を撮り続けている。写真のような大型の8×10のカメラを用い、フィルムではなく湿板に造影するこの技法は、まさに幕末の黒船時代と同じ古式ゆかしい写真技法であり、世界的にも極めて珍しい。
神道、匠、山伏、公家、縄文といった「古きよき日本の面影」を捉えたその写真は、ジャーナリストであり、日本文化の論客でもあるエバレットさんならではの、日本の文化・精神性の本質を捉えた美しいタブローとなっている。
「1988年、ソウル・オリンピックが開催された年に僕は日本に移り住み、フォトジャーナリストとして日本を取材する仕事を始めた。この三十年間、僕が日本で求め続けたのは、一言でいってしまえば次の問いの答えだった。日本とは何か?――これはなかなかに奥の深い疑問だ」(同書より)
日本に移り住み、30年にわたって日本的なるものを追い求め、誰よりも日本文化を愛するエバレットさんだからこそ、現在の日本文化をめぐる状況についての危機感は強い。
「今日の多くの伝統文化の分野では、その道の権威とされる人たちが、感覚よりも利益あるいは合理性を追求し、結果、おかしなことになっている例が少なくない。おそらくは彼ら自身も、「何かを変えなければいけないのはわかるが、どうしたらいいかわからない」という状況なのではないだろうか」(同書より)
「今の日本文化は、あまりにも本流から離れすぎている。明示以来の支流に迷い込み、袋小路に突き当たって、腐った水の瘴気(しょうき)に悩まされながら、出口を探してウロウロしているように見える。この袋小路から抜け出すには、まず本流に戻ってみることが必要ではないだろうか」(同書より)
「現代のフェノロサ」とも称されるエバレット・ブラウンさんの写真と文章を通して感じられるのは、縄文時代から脈々と続く日本のすばらしい「精神性」と「身体感覚」である。物事には必ず、外側の視点からしか気づけないものがある。明治維新150周年の今、すべての日本を愛する日本人に読んでいただきたい一冊である。失われゆく日本が、本当に失われてしまう前に。
黒船時代の技法で撮る
『失われゆく日本』
著・撮影/エバレット・ケネディ・ブラウン
定価/本体1500円+税
小学館
https://www.shogakukan.co.jp/books/09388612
文/編集部