今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「自分はほんとうに幸せだった」
--山本周五郎
作家の山本周五郎が、すでに蒲団に入って寝(やす)んでいるきん夫人に「かあさん、2時間ばかり起きて、話を聞いてくれ」とことばをかけたのは、昭和42年(1967)2月12日の深夜のことだった。きん夫人が目を開けると、山本はこうつづけた。
「自分はほんとうに幸せだった。かあさんのおかげで、思うように仕事もできた。編集者にも恵まれたし、食べたいものも食べたし、飲みたいものも飲んだし、ぼくほど幸せなものはない」
さらに、しみじみした調子で、こんなことも付け加えた。
「ぼくはきみと結婚するとき、きっと日本一の小説家になってみせるつもりだ、と誓ったっけ。もちろんその決心に変わりはない。そのつもりで一生懸命がんばってきたのも事実だ。しかし、残念なことに、とうとう日本一の小説家にはなれなかったなあ」
このとき山本は、自身の体の不調から、迫り来る死を覚悟していたのだろう。だからこそ、妻に素直に感謝のことばを伝えておきたかった。
山本周五郎は明治36年(1903)山梨県の生まれ。本名は清水三十六。小学校卒業後、山本周五郎商店(質屋)に丁稚奉公。主人に可愛がられ、働きながら正則英語学校を卒業した。この主人の名前を、後年、そのまま自身のペンネームとしたのである。関東大震災で同店が焼失。地方新聞記者、雑誌編集記者をしながら小説を書きはじめ、やがて文筆一本の生活に入った。
山本は、作家仲間である尾崎士郎から「曲軒」のアダ名を冠されていた。ヘソ曲りだというのである。実際、一筋縄でいくような人物ではなかった。「文学に『純』も『不純』もあるはずがない。よい文学と悪い文学があるばかりだ」と語る一方で、「作者にとって読者から与えられる以外の賞はない」として、直木賞をはじめ、あらゆる文学賞を辞退した。
自身の描き出す歴史・時代小説の作品群でも、他の作家のように、信長、秀吉、家康などの英雄豪傑は主人公としない。目線はつねに、市井に生きる庶民や正史から虐げられた人々に注がれていた。
きん夫人に感謝のことばを伝えた翌日、山本周五郎は倒れた。
原稿をとりにきた新聞社の記者と打ち合わせをしたあと、大儀そうな様子でトイレへ行こうとするのを夫人が助けようとすると、「それだけは世話になりたくない」と言って独りで歩いていく。なかなか戻らないので夫人が心配して見にいくと、トイレの中で倒れていたのである。
すぐに近所の医師が往診に駆けつけて治療し、その夜はいったん眠りについた。だが、翌朝になって長男が山本の体にさわると、なんとなく冷たい。再び医者が呼ばれて、横になっていた山本の体をまっすぐにしようとしたとき、喉がゴックンと鳴って、それが臨終の合図だった。
いい作品を書くこと以外、何物にも執着なし。自己に厳しく勉強を重ね、最後まで現役の文士であることを貫いた生涯。傍らの机の上には、書きかけて「、」で中断した原稿用紙が置かれていた。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。