今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「健康な人間などというものは、恐らく一人もいないにきまっている。何等かの意味で、自分の人生に絶望を持たないで生きて来た人間は、一人もないにきまっている」
--林芙美子

『放浪記』というと、近年は作者の林芙美子の名前より先に、女優の森光子や仲間由紀江の名を頭に思い浮かべる人が多いのかもしれない。舞台化された作品が、それだけ長く受け継がれている証左であるから、地下の林芙美子も案外ご機嫌なのかとも想像される。

林芙美子は明治36年(1903)の生まれ。生誕地は山口県下関のブリキ屋の2階という説と、福岡県門司市のブリキ屋の2階という説がある。いずれにしろ、『放浪記』の冒頭に「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない」と綴ったように、家というものを知らぬ放浪育ち。18歳で上京して、女工、女中、女給、事務員などの仕事を転々とした。あちこちの出版社に持ち込んで一顧だにされず埋もれていた『放浪記』が世に出たときも、飢える一歩手前だったという。

それがあれよあれよという間に大ベストセラーとなり、一躍文壇の寵児となった。時に昭和5年、林芙美子は26歳となっていた。

掲出のことばは、『冬の林檎』の中に書かれた一節。傍からは窺い知れなくても、誰しもが己(おの)が体内に何らかの悩みや痛みを抱え、それぞれの歩みの中で絶望感を味わうこともある。それを乗り越えて生きていくのが、人生というものなのだろう。

『放浪記』によって女流作家としてのぼりつめたその地位を、林芙美子は手放すことなく活躍しつづけ、昭和26年(1951)6月、現役第一線のまま47歳で急逝した。その裏にも只事でないものは潜んでいた。

自宅でおこなわれた告別式における、川端康成の、常とは趣を異にするこんな弔辞がそれを物語る。

「故人は自分の文学的生命を保つため、他に対して、時にはひどいこともしたのでありますが(略)どうかこの際、故人を許してもらいたいと思います」

同性作家に対する林芙美子の度を越した競争意識が、しばしば露骨な排他的態度となってあらわれ、一部の不評を買っていた。長い底辺生活で、彼女の心身には、貪欲に逞しく生き抜く姿勢がしみついていた。競争相手を排斥するくらいのことは、朝飯前であったのかもしれない。

一方で、文壇的な葬儀が一段落したところで、待ちかねたように近所のおかみさんたちが大挙して焼香に押しかけ、会葬者を驚かせたことも、記しておかねばならない。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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