文・写真/杉﨑行恭(フォトライター)
海からの温かい風が、駅の構内を吹き抜けていく。日南線を走る観光列車『海幸・山幸』を撮影するためにやってきた油津駅は、ローカル線の主要駅らしく、ゆったりと広い構内に立派な駅舎を構えていた。
「練習がない日、選手が列車で出かけることもありますよ」と話してくれたのは、駅の観光案内所の職員さん。ここ日南市油津は気候温暖な土地であるため、毎年2月になるとプロ野球広島カープのキャンプ地になるのだ。
そもそも「油津」とは「油を流したように穏やかな港」のことだという。駅前からは海が近い雰囲気は感じられないが、その昔は九州屈指の漁港だったというだけに、ステンレス製のマグロのオブジェが駅前ロータリーに飾られていた。
1937年(昭和12)の鉄道開通時には、中心街に線路を通す隙間がなく、町の山側に駅を置いたようだ。それでも日南線が志布志まで全通した昭和30年台には、宮崎県南部の商業の中心として大いに栄え、休日になると近郊からやってくる買い物客で駅は大混雑したという。
ともあれ白亜の油津駅はなかなかカッコいい。駅舎は正面に車寄せを張り出し、四角い玄関ホールの天井まで吹き抜けになっていて、ホーム側(南西方向)のあかり採りから南国の陽光がさし込んでいる。
ちょっと都会のビルを意識したようなモダンさと、路線の主要駅であることを感じさせる風格も兼ね備えている。
もっともこの美しい駅舎は平成になって改修されたもので、以前はかなりくたびれた駅の印象だった。それというのも、日南線では1975年(昭和50)まで蒸気機関車が走っており、ばい煙にまみれる駅舎は、汚れが目立たない地味な色が通例だったからだ。
また太平洋戦争では終戦の直前まで空襲を浴び、戦後は進駐軍の命令で九州各地から集められた日本軍の大量の武器弾薬がこの油津駅に集められ、船に積み替えられて海に投棄されたという。戦中戦後の鉄道駅舎は、貨物や旅客輸送で激しく使われたのである。
1971年には、地元の小学校教師が油津駅構内で新種の帰化植物「ニチナンオオバコ」を発見するというエピソードも残っている。日南線が開通したときに建てられたこの駅舎は、そんな歴史を秘めて、今年で80歳になる。
今ではかつての繁栄ぶりがウソのような静かな油津の街だが、大正時代に木造船の材料として飫肥杉を運び出した堀川運河や、アーチの石橋(堀川橋)など昔町の面影をよく残している。
日南線を走る人気の観光列車『海幸山幸』は、運転日になると、日中この油津駅でやや長い時間待機する、鉄道ファンにとっては、観光列車を間近に見るチャンスだ。
広島カープのキャンプ地となる天福球場は、駅から徒歩5分。また日南線の有名な撮影地である『七ッ岩』は、ひとつ南隣の大堂津駅との間にある。
【油津駅(JR九州 日南線)】
■ホーム:1面2線
■所在地:宮崎県日南市岩崎
■駅開業(駅舎も含む)年月日:1937年(昭和12)4月19日開業
■アクセス:宮崎駅から日南線で約1時間20分
文・写真/杉﨑行恭
乗り物ジャンルのフォトライターとして時刻表や旅行雑誌を中心に活動。『百駅停車』(新潮社)『絶滅危惧駅舎』(二見書房)『異形のステーション』(交通新聞社)など駅関連の著作多数。