順徳院(じゅんとくいん)は第84代天皇です。後鳥羽上皇の第三皇子として生まれ、14歳で即位しました。父・後鳥羽上皇は文武に秀で、強烈な個性を持った人物。その影響を色濃く受けた順徳院もまた、和歌と有職故実(宮中の作法・儀式)に深い造詣を持つ文化人として知られています。
著書『禁秘抄(きんぴしょう)』は、宮中の儀式や制度をまとめた書物で、今日でも貴重な史料として研究者に重用されています。また和歌の世界でも父とともに研鑽を積み、藤原定家とも交流がありました。
しかし、順徳院の人生は承久3年(1221)の「承久の乱」を境に大きく変わります。父・後鳥羽上皇が鎌倉幕府打倒を掲げて挙兵したこの乱は、わずか一か月足らずで幕府側の勝利に終わりました。後鳥羽上皇は隠岐(現在の島根県)へ流罪。順徳院は佐渡島(現在の新潟県)へ配流されることになります。
このとき順徳院は25歳。そして二度と都に戻ることなく、46歳でその生涯を佐渡の地で終えました。
都の華やかな文化の中で育ちながら、孤島で過ごした20年余り。「百敷や〜」の一首は、その長い年月の果てに生まれた歌なのです。

順徳院の百人一首「百敷や~」の全文と現代語訳
百敷や ふるき軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり
【現代語訳】
宮中の古びた軒端に生えている「しのぶ草」を見るにつけても、昔の栄華がしのばれ、いくらしのんでもしのび尽くせない、古き良き時代であったことよ。
『小倉百人一首』100番、『続後撰集』1205番に収められています。この歌は、鎌倉幕府に実権を奪われ、衰退していく朝廷の姿を嘆き、天皇中心の華やかな時代であった昔を懐かしむ、非常にスケールの大きな一首です。この歌の最大の魅力は「しのぶ」という言葉に込められた二重の意味(掛詞)と、そこから広がる映像美にあります。
宮中の屋根(軒端)に生い茂る「しのぶ草」という植物と、昔を「偲ぶ」(懐かしく思う)という二つの意味が掛けられています。かつては美しく手入れされていたであろう宮中の建物が、今や草が生えるほどに荒廃してしまっている。その視覚的な寂しさが、「なほあまりある(いくら偲んでも偲びきれない)」という深い心の嘆きをより一層引き立てているのです。
百人一首を編纂した藤原定家は、この壮大な哀愁に満ちた歌を、あえて一番最後に配置しました。悲運の死を遂げた後鳥羽院(99番)と順徳院(100番)の親子を最後におくことで、彼らの無念を弔い、当時の宮中が華やかであった「古き良き時代」への哀惜の念を込めたと考えられています。

順徳院が詠んだ有名な和歌は?
順徳院は数多くの優れた和歌を残しています。ここでは、彼の心情がよく表れている和歌を紹介します。
いかにして 契りおきけむ 白菊を 都忘れと 名づくるも憂し
【現代語訳】
どんな運命なのだろうか。白菊に都忘れと名前を付けても、心の憂いは晴れないままだ。
父である後鳥羽院は、白菊を好んでいました。配流の地で咲く父が好きだった可憐な白い花を見て、都への未練を断ち切るために「都忘れ」と名付けたという伝説が残っています。事実としての確証には諸説ありますが、現在でも私たちが知る園芸植物「ミヤコワスレ」(都忘れ)の語源として、広く親しまれているエピソードです。

順徳院、ゆかりの地
順徳院ゆかりの地を紹介します。
順徳上皇石碑群
新潟県佐渡市にある恋ケ浦。「いざさらば 磯打つ波に こと問はむ 隠岐のかたには 何事かある」と、父帝・後鳥羽上皇を思う和歌を刻んだ「恋ケ浦碑」など4つの碑が建っています。
真野御陵
正式には「順徳天皇御火葬塚」。佐渡市真野にある順徳院の御陵(お墓)です。崩御後、ご遺骨は都に帰りましたが、この地には火葬塚が残されており、現在も宮内庁によって管理されています。
松林に囲まれた厳かな雰囲気の中、彼の魂を慰めることができます。
最後に
順徳院の人生は、栄華から転落へのドラマ。「百敷や~」の歌には、尽きぬ昔の感慨が凝縮されています。百人一首の締めくくりとして、父・後鳥羽院と並ぶのも運命的です。
歌の背後にある人生を知ることによって、自分自身の記憶や感情とも出会い直せる。そこに古典を味わう醍醐味があります。過ぎた日々をただ懐かしむのではなく、その重みを静かに受け止める…。そんな読み方ができるのは、人生を歩んできた人の特権です。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp











