はじめに-平秩東作とはどのような人物だったのか
平秩東作(へづつ・とうさく)は、狂歌師、戯作者、儒者であり、その多才さと自由な精神で当時の文化に大きな影響を与えました。
江戸の内藤新宿で煙草屋を営みながら、文芸活動や事業にも積極的に取り組んだ平秩東作ですが、実際にはどのような人物だったのでしょう。史実をベースに紐解きます。
2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、平賀源内の商売仲間(演:木村了)として描かれます。

目次
はじめに-平秩東作とはどのような人物だったのか
平秩東作が生きた時代
平秩東作の生涯と主な出来事
まとめ
平秩東作が生きた時代
平秩東作が活躍した天明期(1781〜1789)は、田沼意次が推し進めた重商主義政策が特徴であり、社会の商業化が進む一方で、天明の大飢饉を契機に農村や都市の社会不安が高まりました。このような不安定な社会情勢の中で、狂歌や戯作といった庶民的な文芸が流行し、平秩東作もこうした町人文化を支える一人として活躍したのです。
平秩東作の生涯と主な出来事
平秩東作は享保11年(1726)に生まれ、寛政元年(1789)に没しました。本名は立松懐之(かねゆき)、通称は稲毛屋金右衛門(きんえもん)です。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
江戸文化を彩った狂歌と戯作
平秩東作は、内藤新宿で煙草屋を営むかたわらで、文筆をしていました。
狂歌の草創期において重要な役割を果たし、同時代の狂歌師である四方赤良(よもの・あから)や唐衣橘洲(からごろも・きっしゅう)らと共に、洒脱で風刺的な作品を数多く生み出しました。
狂歌集『狂歌師細見』や『狂歌百鬼夜狂』には、その機知に富んだ歌が収録されています。また、戯作者としても才能を発揮し、洒落本『駅舎三友(えきしゃさんゆう)』や滑稽本『当世阿多福(おたふく)仮面』などを執筆。江戸の町人文化を体現するような作品を次々に発表しました。
【蝦夷地探訪と事業家としての側面。次ページに続きます】
