蝦夷地探訪と事業家としての側面
平秩東作は平賀源内に似た事業家肌の人物で、学問や文芸だけでなく、実業にも意欲的でした。伊豆天城山の炭の普及を図ったり、蝦夷地(北海道)で越冬したりと、行動力にあふれた人生を送ったのです。
蝦夷地での経験をもとに執筆された紀行『東遊記』は、その見聞をまとめた貴重な資料として知られています。
文政と自由な精神
平秩東作の作品や行動は、当時の体制や社会規範を風刺し、批判するものでした。その自由な精神は、狂歌や戯作だけでなく、「井蛙(せいあ)」という題の一首にも表れています。
身を守る かくれ所は こゝこそと ちゑを古井に 蛙なくなり
平穏な隠れ家を求めつつも、自由な精神で世の中を見つめ続けた東作の心情をよく表しているかのようです。
田沼政権との関わりとその後
田沼意次政権に接近し、その庇護を受けて活動していた東作でしたが、田沼政権が崩壊するとともに彼の立場も厳しいものに。それでも、その生涯を通じて彼は江戸文化の発展に寄与し、独自の足跡を残しました。

まとめ
平秩東作は、内藤新宿の煙草屋から文芸の世界に飛び込み、平賀源内や大田南畝(なんぽ)といった時代を代表する文化人たちと交友を深めつつ、狂歌、戯作、紀行文、さらには事業家としての顔も見せるなど、その才能を幅広く発揮しました。
平秩東作の人生は、創造性と好奇心に満ちた一方、時代の波に翻弄される面もありました。しかし、その軌跡は後の世にも影響を与え、江戸町人文化の輝きを支えた重要な人物の一人として語り継がれています。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP:http://kyotomedialine.com FB
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『日本人名大辞典』(講談社)
