源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん)は、71番の作者大納言経信(だいなごんつねのぶ)の三男として生まれ、堀河・鳥羽・崇徳天皇に仕えた歌人です。技巧的で情感豊かな和歌を得意とし、藤原定家に高く評価されました。
特に、16名の歌人による『堀河百首』を成立させ、百首歌の形式を確立した功績が大きいです。また、歌論書『俊頼髄脳(としよりずいのう)』を著し、『金葉和歌集(きんようわかしゅう)』の撰者も務めました。
さらに、楽人としても優れ、雅楽の篳篥(ひちりき)の名手としても知られました。75歳で没するまで、和歌と音楽の両面で平安時代の文化に貢献しました。
目次
源俊頼朝臣の百人一首「憂かりける~」の全文と現代語訳
源俊頼朝臣が詠んだ有名な和歌は?
源俊頼朝臣ゆかりの地
最後に
源俊頼朝臣の百人一首「憂かりける~」の全文と現代語訳
憂(う)かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを
【現代語訳】
私がつらく思っていたあの人の心がなびくようにと初瀬にある長谷寺の観音さまに祈りこそしたが、初瀬の山おろしよ、ひどくなれとは祈りはしなかったのに。
『小倉百人一首』74番、『千載集』708番に収められています。『千載集』の詞書によると、「祈れども逢わざる恋」を題に藤原俊忠(定家の祖父)の歌会で詠まれたものです。
長谷寺の観音菩薩に恋愛成就を祈願したものの、思いが叶わなかった様子を詠んでいます。平安時代、救いの神として広く信仰されていた観音菩薩への祈りを通じて、叶わぬ恋心を表現しています。
「憂かりける人」は私がつらく思った人、という意味です。似たような語で「つらし」は相手の仕打ちに対する恨めしさを表すのに対し、「憂し」は自分自身のつらく情けない身持ちを表します。
「初瀬」は大和国(奈良県)の地名で、ここには長谷寺がありました。平安時代には観音菩薩は、人々に危機が訪れると救いの手を差し伸べてくれるとされており、長谷寺は多くの参拝者で賑わっていました。
「山おろし」は山から吹き下ろす激しい風のことを意味し、擬人化して呼びかけた言い方になっています。
源俊頼朝臣が詠んだ有名な和歌は?
源俊頼朝臣は、歌論書『俊頼髄脳』を著し、『金葉和歌集』の撰者も務めただけあり、多くの秀歌が残されています。そのなかから二首紹介します。
1:卯の花の 身の白髪とも 見ゆるかな 賎(しづ)が垣根も としよりにけり
【現代語訳】
卯の花が我が身の白髪のように見えることだなあ、自分同様、賎の垣根も年を取って古びたことだよ。
卯の花の白さを自身の白髪に重ね、垣根の古びた様子を老いに例えた歌です。藤原忠通邸での歌会で、詠み手である源兼昌は俊頼の歌に名前がないことに気づき、知らせようとしますが、俊頼は「とにかく詠め」と促します。
詠み上げた歌の中に「としより(俊頼)」の名が巧みに織り込まれていたのです。この機転に、兼昌も忠通も感嘆しました。鴨長明の『無名抄』に記されたこの逸話は、俊頼の才能とユーモアを鮮やかに伝えています。
2:山桜 咲きそめしより ひさかたの 雲ゐに見ゆる 滝の白糸
【現代語訳】
山桜が咲き始めた頃から、はるか遠くの山の景色は空から落ちる滝の白糸のように見える。
『金葉和歌集』の詞書によると宇治前太政大臣家歌合で詠まれたもので、父・源経信が判者を務めています。山桜が咲き始めた頃から、空に白糸のように見える滝、と詠んでいますが、実はこれは、山の斜面を覆う山桜を、空から落ちる滝に見立てた巧みな表現。判者の経信も「きららかによまれたる」と絶賛した、幻想的で美しい歌です。
古今集の技法を受け継ぎつつ、より鮮明で印象的な作風へと昇華させた傑作として評価されています。百人秀歌ではこの歌が選出されています。
源俊頼朝臣ゆかりの地
続いて、源俊頼朝臣にゆかりのある場所を紹介します。
長谷寺
奈良県桜井市初瀬(はせ)にある長谷寺は、重要文化財に指定されている十一面観音を本尊とする古刹で、美しい景観と歴史的な建造物で知られています。俊頼が恋の成就を祈った舞台に思いを馳せながら、参拝してみてはいかがでしょうか。
最後に
源俊頼朝臣の歌には、自然の美しさや人間の心の動きが詠まれ、時代を超えて多くの人に感動を与え続けています。私たちも、彼の作品に触れることで、より豊かな心を育むことができるでしょう。シニア世代の皆さん、ぜひ一度、源俊頼朝臣の和歌を読み返してみてください。その深い情緒とともに、古き良き日本の心を感じてみましょう。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり
国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館
百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp