ライターI(以下I):三条天皇(演・木村達成)が崩御しました。劇中では道長派の公卿らからの圧力を受けて譲位を強いられます。
編集者A(以下A):三条天皇は、道長(演・柄本佑)の娘で自身のもとに入内した姸子(演・倉沢杏菜)との間に禎子内親王をもうけていました。三条天皇は皇女を溺愛していたといいます。天皇が病に臥していた際のエピソードが『栄花物語』『大鏡』に記録されているのです。山中裕先生の『藤原道長』(人物叢書)から引用します。
『栄花物語』は上皇崩御の場面を、あどけない内親王を中心に描き出す。一条殿にいる中宮姸子が一途に仏前のおつとめをしていた頃、姫宮禎子は「蚯蚓(みみず)書き」に書いた可愛い文字を「これを父宮のもとに差し上げましょう」と言い、「父宮(三条上皇)は、私を恋しいとはおぼさぬか、どうして長い間お越し召さぬのか」などと書き続けたという――。
I:三条天皇は道長の娘の生んだ内親王を可愛がったのですね。なんだか切ないですね。
A:そして、もっと悲劇なのが、三条天皇の第一皇子敦明親王(演・阿佐辰美)です。三条天皇が譲位の条件に「東宮は敦明親王」としたことで、東宮になったのですが、だれも側近になろうとしなかったそうです。
I:なんとひどい仕打ちでしょう。
A:失意の敦明親王は、自ら東宮を辞退したといいます。
I:そうなるように仕向けられたんですね。本当にかわいそうな敦明親王。
A:そうはいいますが、敦明親王はその「暴力的なエピソード」がけっこう記録されています。天皇には向かないという風説も流布されていたのかもしれません。道長派からすれば、そこまでして東宮の座から引きずり下ろしたわけですが、それなりの待遇を与えているところが面白いのです。
I:いったいどんな待遇なのでしょうか。
A:小一条院という准太上天皇の位を与えています。それだけではなく、道長と源明子(演・瀧内公美)の間に生まれた娘の寛子を敦明親王に嫁がせているのです。
I:源明子はその縁談をどのように感じていたのでしょうか。これも敦明親王の「怨霊化」を防ぐためだったのでしょうか。
A:敦明親王には藤原顕光(演・宮川一朗太)の娘延子が嫁いでいたのですが、道長の娘が嫁いだショックで亡くなってしまい、怨霊と化して寛子を悩ませたそうです。平安貴族社会は恐ろしいですね。
【木村達成さんというはまり役。次ページに続きます】