はじめに―敦明親王とはどのような人物だったのか
敦明親王(あつあきらしんのう)は平安時代中期の皇族であり、三条天皇の第一皇子として生まれました。母は皇后・娍子(すけこ、または、じょうし)で、藤原済時(なりとき)の娘です。
彼は一時的に皇太子(東宮)に立てられましたが、藤原道長の政治的圧力により東宮を辞し、その後は小一条院(こいちじょういん)と号して上皇に準じる待遇を受けたといいますが、実際にはどのような人物だったのでしょう? 史実をベースに紐解きます。
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目次
はじめに-敦明親王はどのような人物だったのか
敦明親王が生きた時代
敦明親王の足跡と主な出来事
まとめ
敦明親王が生きた時代
敦明親王が生きた時代は、平安時代中期であり、藤原氏が政治の実権を握っていました。特に藤原道長は絶大な権力を握り、その勢力は頂点に達していました。
このような背景の中、皇位継承や貴族間の権力争いが激化し、皇族たちは政治的な思惑に巻き込まれていきました。敦明親王もそのうちの一人だといえるでしょう。
敦明親王の生涯と主な出来事
敦明親王は、正暦5年(994)に生まれ、永承6年(1051)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
誕生と幼少期
正暦5年(994)5月9日、敦明親王は三条天皇と皇后・娍子の間に生まれました。皇位継承者として将来を嘱望されての誕生です。生誕の地は、娍子の父である藤原済時の邸宅でした。
親王宣下と昇進
寛弘8年(1011)10月5日には親王宣下を受け、三品(さんぼん、※親王の位階の第三位のこと)に叙せられます。同年12月18日には式部卿に任じられ、皇族としての地位を着実に固めていきました。
一品への叙位と東宮への立太子
長和2年(1013)6月23日、一品(いっぽん)に叙せられます。長和5年(1016)1月29日、父・三条天皇の譲位に伴い、敦明親王は東宮(とうぐう、※皇太子の称)に立てられました。
この際、藤原道長は自分の娘・彰子(しょうし、または、あきこ)が一条天皇との間に産んだ敦成親王(あつひらしんのう/後の後一条天皇)を即位させ、さらにその弟・敦良親王(あつながしんのう/後の後朱雀天皇)を東宮に立てようとしていました。
しかし、三条天皇の強い意向により、敦明親王が東宮に立てられたのです。
【藤原道長からの圧迫と東宮辞退。次ページに続きます】