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著書が一冊出版されるたびに、僕は岡山の父に送っている。蕎麦の本を受け取った父が、電話で語る感想はいつも決まっていた。
「蕎麦のどこがええんじゃろうか。ぼくは蕎麦より、うどんのほうが好きじゃなあ」

ということなので一昨年の秋、香り高い新蕎麦の生蕎麦を、宅急便で送ってあげた。

剣豪にたとえれば「宮本武蔵」クラスの蕎麦職人に、名刀「関の孫六」にも匹敵する最高の蕎麦粉で打ってもらった手打ち蕎麦だ。向かうところ敵なし。もちろん、茹で方は、実際に蕎麦を茹でる母に、電話で事前にくどいほど説明しておいた。

で、そろそろ食べ終わったかなと思う時間帯に、岡山に電話を入れた。

「味はどうだった?」と尋ねる僕に、父の答えは予想外のものだった。

「うーん、そうじゃなあ。せっかく送ってもろうたけど、やっぱりぼくは、うどんのほうが好きじゃなあ」

僕は納得がいかない。あれこれ問いただしてみると、なんとも残念な事実が判明した。

■麺と醤油から見える蕎麦の歴史

前日、僕は電話で「まず大きな鍋にたっぷりの湯をわかして…」と説明しておいたのだが、大きな鍋がなかったので、いつも使っている「普通の鍋」で湯を湧かしたのだという。

そして「沸騰した湯に蕎麦をひとり分だけ、くっつかないようパラパラと入れて、茹で時間は、きっかり50秒…」と言ってあったのだが、3人前の生蕎麦を「普通の鍋」の中に、一度にドボンと入れたとか。そして食べやすい柔らかさになるまでグツグツ煮たのだという。

年に一度だけ、大晦日の儀式として乾麺を茹でて食べるそのやり方で、生蕎麦を茹でたのである。蕎麦の茹で方は、こういうものという固定観念が、しっかり体に染み込んでいるため、なかなかそこから抜け出せないのだろう。出来上がった蕎麦が、どういう食感、どういう味になったのか、僕は恐ろしくて、今に至っても考えないようにしている。

西日本は、うどんの食文化、東日本が蕎麦の文化だという説を、よく耳にする。しかし僕は、蕎麦の本場は、じつは西日本であると思っている。

その理由をいくつか挙げると、麺の製法は仁治2年(1241)、南宋時代の中国から、聖一国師が伝えたといわれている。九州・博多の承天寺は、聖一国師が開いた寺。ここには「饂飩蕎麦発祥之地」の碑が建てられている。

また大坂には享保15年(1730)ころ、名高い蕎麦屋「砂場」があった。大坂の「砂場」は、現在の東京の蕎麦店「砂場」の起源となる店。江戸の蕎麦屋のルーツをたどると、じつは大坂に行き着くのだ。

僕が書いた蕎麦の本も、出版社の販売データを見ると、西日本でも東日本でも、ほぼ同じくらいの部数が売れている。それでも蕎麦は東日本といわれる、その理由はなんだろう。

■濃口醤油が関東に広まった結果…

僕は醤油に、その答があるのではないかと思っている。

日本での醤油の発祥は諸説あるが、建長6年(1254)、宗から帰国した禅宗の僧、覚心が始めたと一般的にいわれている。最初はとろりと濃い、味噌の上澄み液であった。

寛文6年(1666)、現在の兵庫県・龍野の醤油業者、円尾孫右衛門が、色の淡い醤油を開発した。この淡口醤油が京料理を育て、関西の味の基盤となった。

一方、徳川家康が江戸に幕府を開いたのは、慶長8年(1603)。大消費地江戸に近い現在の千葉県で、濃口醤油が生まれた。濃口醤油は、江戸を席巻していた上方生まれの淡口醤油を駆逐し、それにとって変わった。こうして濃口醤油は関東の味の基礎となった。

関東では蕎麦というと、濃口醤油を使って作られた辛口の蕎麦つゆで食べる「もり蕎麦」が主役だ。それに対して西日本は、淡口醤油を生かした、いわゆる「種物」に多彩なバリエーションが見られる。またその技術的水準も高く、伝統的メニューも多い。

淡口、濃口、それぞれの醤油の誕生と、それが地域の食文化に取り込まれていった過程の事情が複雑にからみあい、蕎麦とうどんが東西に二分して語られるようになったのではないだろうか。

で、話は戻るが、今年の正月、僕は岡山へ行き、自分で蕎麦を茹でて父に食べさせた。

その結果、父は「ぼくは、うどんより蕎麦がようなった」と言い、蕎麦を抱えた僕が帰省するのを心待ちにしている。だから今度は、うーんとおいしいうどんの店に連れていってあげようと思っている。そのうどんを食べた後、父がなんと言うか、今から楽しみである。

文・写真/片山虎之介
世界初の蕎麦専門のWebマガジン『蕎麦Web』(http://sobaweb.com/)編集長。蕎麦好きのカメラマンであり、ライター。伝統食文化研究家。著書に『真打ち登場! 霧下蕎麦』『正統の蕎麦屋』『不老長寿の ダッタン蕎麦』(小学館)、『ダッタン蕎麦百科』(柴田書店)、『蕎麦屋の常識・非常識』(朝日新聞出版)などがある。

 

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