取材・文/ふじのあやこ
一緒にいるときはその存在が当たり前で、家族がいることのありがたみを感じることは少ない。子の独立、死別、両親の離婚など、別々に暮らすようになってから、一緒に暮らせなくなってからわかる、家族のこと。過去と今の関係性の変化を当時者に語ってもらう。
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認定NPO法人グッドネーバーズ・ジャパンが運営する「グッドごはん」では、ひとり親家庭を対象に、子どもにおける体験機会の状況についての調査(実施日:2024年6月1日~6月10日、有効回答数:3137人、インターネット調査)を実施。ひとり親家庭になって以降、子どもに体験活動をさせる頻度がどのように変化したかの問いに対して、「かなり減った」が55.9%、「やや減った」が20.8%となり、ひとり親になるということは子どもに多くの変化を与えることがわかる。
今回お話を伺った香苗さん(仮名・43歳)は小学生のときに両親が離婚。母親のためにと、同世代の友人関係よりも地域の大人たちの中に率先して溶け込んでいった。【~その1~はコチラ】
高校時代のアルバイトから、働くことが大好きだった
高校を卒業後には知り合いの紹介で、チラシのデザインや印刷を行う企業の事務員として就職する。香苗さんの高校は進学校だったため就職する生徒は10人ほどしかいなかった。母親からは大学進学を勧められたが、早苗さんは就職に迷いがなかったという。
「高校生になってからずっとアルバイトをしていて、働くことが好きでした。同じ作業を繰り返していく中で効率よい方法を見つけて、それを実行していく。仕事が早くなると社員さんは褒めてくれて、周囲よりも早く時給が上がることもありました。褒められるし、お金ももらえるし、母親も助かる。アルバイトでこんなに達成感があったのに、就職で正社員になるともっと楽しいことが待っているんだろうって、早く働きたくて仕方なかったんです」
香苗さんが仕事を始めて1年後に、母親と2人で暮らしていた公営住宅から賃貸アパートへ引っ越しをした。引っ越しは母親の足腰を気遣ってのものだった。
「団地は5階建てで、家は4階でした。階段だったので、ゴミ捨てや買い物などで何往復かしなければいけないのが大変そうだなって思って。母親は団地からバスで1本のところで働いていたので近場のマンションを借りました。初期費用は私のアルバイトと勤めて貯めたお金で支払いました」
事務で採用されるも仕事ができて早かった香苗さんは、少しずつデザインの仕事も手伝うように。働く中でデザインの仕事を1人でこなせるほどになっていた。その会社では5年勤めた後に、デザイン会社に転職。広告デザインの仕事は激務だったが、その分やりがいも大きかったという。
「終電で帰って始発で出勤することや、職場に泊まることもあって、そのデザイン事務所に勤めていたころはプライベートの時間は一切ありませんでした。たまに休日があっても体を休めるために1日中ベッドの中にいましたから。そんな状況でも仕事が楽しかったんです。小さな事務所だったから営業のような仕事も自分で行うこともあったけれど、その分知識や実績、実力がアップする実感がありました。大勢の前で非難されて隠れてトイレで悔し泣きすることもあったけれど、自分の作ったものが多くの人の目に触れることの喜びですべて帳消しになりました」
【母親と離れて暮らすことは考えられない。次ページに続きます】