2024年6月6日、大手都市ガス事業者・大阪ガスが役職定年を廃止する方針を固めたことがわかった。役職定年とは、一定の年齢(現在55歳)になると、管理職の肩書きが剥奪され、給料も減額されるという制度だ。これが廃止になる背景には、少子高齢化で深刻化する人手不足がある。
シニア層は、組織への忠誠心が高く、経験豊富だ。年齢で足切りをし、戦力外通知を出すことは、会社への損害になると判断したのだろう。加えて、定年や再雇用の年齢上限も上昇傾向にあるという。
昌典さん(68歳)は「とはいえ、いずれ定年はくる。人生は仕事だけではない。元気なうちに好きなことをして、後悔なく生きた方がいい」と言う。昌典さんは大手金融関連会社に60歳まで勤務し、定年後は子会社で65歳まで働いた。そこで2度目の定年を迎えて3年目を迎える。現在は妻(66歳)とともに東京近郊に暮らしており、2人の娘(40歳、36歳)は独立している。
「65歳で定年になった直後は、楽しいこともすべきこともわからず、人生に遭難してしまった」と当時を振り返る。
会社から「人間同士の化学反応」が消えた
昌典さんには役職定年がなかった。
「私は特例として、役職定年にならなかったんです。大きな会社でしたが、私のような特例組は結構いました。がむしゃらに頑張っていれば、60歳まで会食や商談などが連日のように入りますし、朝から晩まで予定がぎっしりと入る仕事人生になるんです」
そのハシゴが外されたのは、60歳の定年時。子会社の副社長を拝命し、意気揚々と出社したが、仕事はほとんどなかった。
「私が来たからには、子会社の営業成績の向上や、業務改善の成果を出して有終の美を飾ろうと思いましたが、“そんなことはしないでください。今のままでいいんです”と言われてしまう。改善しようとしても、40代の部長から“KPI(重要業績評価指標)に問題はなく、このままで目標は達成できます”と言われてしまう」
そのときの昌典さんは、子会社を一段下に見ていたという。しかし、優秀な人材は多く、皆真面目に働いていた。
そのときに、一人の優秀な人間が組織を引っ張る時代は終わり、「みんなで目標を達成する」方向になったのだと感じた。企業として成長しつつ、有休消化率100%を両立させる。一見、不可能に見えるが、ムダを省いた合理的経営がそれを実現させる。
「総務、広報、PRなど金を産まない仕事は、外部のプロに委託していました。人件費削減にはいいのかもしれないけれど、どうしたって一体感や人間同士の化学反応は生まれない」
業務も誰もミスをせず、傷つかないように整えられていた。
「若手と話していると、幼い頃から“安定した将来”のために勉強を続けていた子が多いと感じました。直近の目標を決め、すぐに傾向を掴み対策する。理解力とデジタルスキルを組み合わせ、最適解を素早く導くのがうまい」
皆、ソツがないからこそ、人間同士がぶつかり合っている手応えが全体的になかったという。
「誰もそんなものは求めていませんけどね。でも、悔しいことに会社の業績は伸びている。私の意見を求められることも増えてきましたが、“ついていけない”と思ったところで65歳になり、強制退場させられました」
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