2024年11月28日、政府は、深刻化するアスリートへの誹謗中傷問題について、本格的な対応に乗り出すことが報道された。被害を受けた選手が法的措置を取る際のサポートや相談窓口設置の支援などを行うという。
隆一さん(63歳)は「定年後は、時間はたっぷりある。延々とスマホを見続け、“正義中毒”になり、内容証明郵便が来て目が覚めました」という。現在はネットから離れるためにもタクシーの運転手の仕事をしている。
決定権がない嘱託社員での雇用延長はプライドが許さない
隆一さんは2年前に、新卒から勤務していたIT関連会社を定年退職した。61歳の誕生日の前日に「お疲れ様でした。今日からあなたは社員ではありません」と言われる感覚は、なんともいえないものがあったという。
「それも自分で選んだ道なんですけれどね。定年前までは、それなりの地位もあり、決裁権や決定権も持っていました。仕事も楽しかったし、“まだまだ働ける。会社に貢献できる”という自覚もあったのです」
隆一さんは企業広報の専門家として、キャリアを終えた。
「大学卒業後、“これから伸びる業界だ”とITの会社を選びました。でも商学部出身だから、自社が提供する製品やサービスの専門的なことはわからない。最初は営業だったのですが、30代半ばから広報部になり、そこから定年まで広報一筋でした」
聞けば、隆一さんには新聞社に勤務していた祖父がおり、父は会社経営者、母はアーティストと恵まれた生活環境で育っている。
「国内外のプレスの人との親交は得意でした。大規模な展示会で出展の指揮をしたり、自社メディアの統括をしたり、仕事はとにかく充実していました」
大規模な予算を使い、自社の認知を広げるために、施策を打つ。他部署との連携を強化し、小さなことであっても、プレスリリースを発表し続ける。
「自分の専門性が高いことを誇りに思っていたので、専門性が高い社員のインタビュー記事も作りました。これにより受注が増え、その社員と一緒に社長賞を受けたりね。僕のキャリアは、成功の連続と言い切ってもいい」
当然、会社から「定年後も働いてほしい」と慰留された。
「定年後、どうするかという話は、Xデー(定年退職する日)の半年前に相談がされました。人事から提案されたのは、“嘱託社員として、今と変わらぬ仕事をすること”。ただ、決定権と決裁権、人事管理業務がないので、給料は20万円近く減る。最悪の条件じゃないですか。人事は、“制度上、仕方がないんです”と言っていましたが、それでは定年前のクオリティの仕事はできない」
それまで、多くの案件は、隆一さんが精査し決定して、実行に移していた。
「たとえば、どの媒体の取材を受けるか、質問はどうか、記事内容の調整とスケジュールなど、僕が決めていた。自社動画を制作するなら、どの制作会社に頼むか、予算はいくらかなども僕が管理していた。定年後はそれらのことを、部下だった奴にお伺いを立てて、実行するんですよ。冗談じゃない。僕のプライドが許しません」
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