2024年3月22日、厚生労働省は2020年に全国でがんと診断された患者は94万5055人だったと発表した。この患者数は2019年から約5万人減少しており、新型コロナウイルス流行が国内で始まった時期で、受診控えがあったのではないかと分析している。
男女の傾向としては、男性のがん患者は約53万人で、前立腺がんや大腸がん、肺がんの順に多かった。女性のがん患者は、約41万人で、乳がん、大腸がん、肺がんの順に多かった。
男性に多い大腸がんは50代前半から増加傾向が見られ、女性の乳がんは30代前半から増えているのが特徴だという。
光一さん(65歳)は、60歳のとき外資系の機械関連の会社を定年退職する。「当時、息子は高校生でまだ働かなくちゃいけなかったんだけど、妻ががんになったから」と振り返った。光一さんの妻は、がんがわかってから1年もしないうちに亡くなっている。
【これまでの経緯は前編で】
名刺と背広を捨て、会社との心のつながりが切れる
5年前の9月、妻からステージ4の子宮体がんだと言われたときに「治るんだろ?」と言ったことを光一さんは後悔している。
「こっちは元気だから、悪い方へと考えたくないので、そう言ってしまったんです。でも妻は助からないことを知っていた。患者本人に“治らないの。手の施しようがない”と言わせてしまったんです。言葉の力はすごい。可能性はあったかもしれないのに、患者本人に絶望的な言葉を言わせてしまったことが、希望を奪ったんだと思っています」
妻は助からないと知った光一さんは、雇用延長を断り、妻との時間を優先するようになる。
「息子は大学附属の中高一貫校に行っており、内部進学も決まっていたんです。息子に病気のことを伝えたら、“お母さん、死んじゃうの?”ってワンワン泣くんです。息子には、自分のようにお金でみじめな思いをさせたくないし、親から手をあげられる痛みを知ってほしくないので、何一つ苦労させていないんです。初めてのショックな出来事だったと思います」
我が子の悲しむ顔を見るのは、親にとって辛いことだ。だから、光一さんは「お母さんの前では元気で笑っていなさい。泣くのはお父さんの前だけにしてほしい」と伝えた。
「妻は一縷の望みをつないで、光免疫療法を受けることにしました。体の負担が少ないので、親子3人で海外旅行も行けたんです。妻の望み通りフランスとイタリア、ベトナム、中国の万里の長城も観に行きました。豪華客船にも乗ったな。コロナ前だったから行きたい放題でしたし、今ほど物価も高くなかったので、500万円くらいで行けました」
妻の看病があったから、定年の辛さも気にならなかった。光一さんは仕事と自分が一体化している文字通り“企業戦士”だ。人生を会社に捧げて生きてきた。
「だから、仕事という生命線が断たれることに不安は尽きなかったのですが、定年直前は妻の健康が何よりも大切。飲み会もそこそこに家に帰り、名刺と背広を捨てました。名刺という私の分身を捨てることに、なんのためらいもなかった。あのときに、会社との心のつながりが切れたようにも感じました」
家事はやったことがなかったが、慣れれば簡単だったという。
「もともと整理整頓が好きで、物事の手順がわかっている。妻も私の筑前煮を食べて“私より美味しい”と笑ってくれました。そりゃ、調理に時間をたっぷりかけていますからね。妻のように短時間でパパッと作ることはできません。でも定年後はたっぷりと時間があるので、妻の様子を見ながら台所に立っていました」
【コロナ禍中に自宅で看取る……次のページに続きます】