東京都は2024年も「東京シニアビジネスグランプリ」を開催する。シニア世代の起業意識を高めるために、2019年度から開催されているビジネスプランのコンテストだ。今年は114名がエントリーし、最終選考に残ったのは10人だという。その決勝大会が、2024年2月11日(日)に開催される予定だ。
東京都のほかにも、多くの自治体がシニア起業を支援。日本政策金融公庫にも「女性、若者/シニア起業家支援資金」という融資プランがあり、シニア起業は推奨されている。
義隆さん(67歳)は7年前に情報関連企業を定年退職した。雇用延長も提案されたが「老兵はただ消え去るのみ」と会社を去り、60歳の時にインターネット関連のコンサルタント会社を起業。それから7年間に起こったことを伺った。
【これまでの経緯は前編で】
叱責はすべてパワハラ、営業も無理
義隆さん35歳、妻が37歳の時に授かった娘は22歳で大学を卒業した後、3年間で職を10回換えた結果、32歳となった現在、父・義隆さんの仕事を手伝っている。
「勉強もスポーツもできて、性格も明るい人気者。でも、逆境に弱い。思い通りにいかないこと、苦しいことがあると、妻と私でやめさせていたのを、今思うと後悔しています」
年齢を重ねて授かった一粒種ゆえに、話を聞くと、相当な過保護だ。就学前にピアノやバレエを習い始めたものの、先生に怒られて3か月でやめた。小学校時代は習字や英会話も全然上達しないので2か月でやめた。夏に入ったスイミングクラブは冬になって寒がるからやめさせた。中学校でバレー部に入り顧問も先輩も優しかったが土日の試合が増えたのでやめさせたなど。
「我が子には苦労をさせたくなかった。私ものんちゃん(妻)も親に怒られたり、習い事や部活が嫌なのにやめさせてもらえなかった心の傷が残っている。私は陸上部でハードな練習をさせられて、今も膝と腰が痛い。のんちゃんはピアノを見ると気分が悪くなる。娘にはそんな傷を残したくなかった」
娘は聡明で朗らかで器用だ。すぐにある程度のことはできるが、そこから先には行けない。
「それでも、受験があるって思うでしょう? でもね、のんちゃんが“母校に入れたい”と言い、受験は小学校の1回のみ。だから娘は何の苦労もしていないんです。就活も苦労することなく、第一希望に内定。研修はなんとか耐えたものの、営業に回されて、先方から叱責を受けたらしく“私には無理”とやめてしまったんです」
その後も、IT、小売店、動画制作会社、専門学校事務、広告代理店などに転職するも、すぐに「無理」とやめてしまう。魅力的だからすぐに仮採用になるが、その先がない。
「定年起業は、のんちゃんから“パパなんとかしてよ”と言われたこともある。娘は人間関係で起こる、摩擦や軋轢に弱いだけ。能力が高いので、パソコン作業は苦にならないし、上手。だから、私の仕事のアシスタントをしてもらうことにした」
娘はカルチャーが異なる人とコミュニケーションをするのが苦手なのだ。加えて、友達や知り合い以外と電話で会話をすることができない。
「6歳から22歳まで、似たような家の子が集まる学校にいて、人気者として楽しく生活していたんだから、仕方ないよね」
義隆さんには両親・義両親の遺産もあり、夫婦の老後をまかなって十分な金はあるけれど、娘の一生を賄えるだけのお金はない。それが今の心配だという。
【自分ひとりなら、起業なんてしなかったんじゃないかな……次のページに続きます】