はじめに-藤原光子(三の君)とはどのような人物だったのか
藤原光子(ふじわらのみつこ)は、正式な名は伝わっておらず、実際には三の君あるいは寝殿の上などと呼ばれていたようです。姉である忯子(しし/よしこ)と妹の儼子(たけこ)は共に花山天皇(法皇)に寵愛され、自身は内大臣・藤原伊周(これちか)の思い人でした。
2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、三の君ではなく光子(演:竹内 夢)として登場。藤原斉信(ただのぶ/演:金田哲)の妹で、「長徳の変」により伊周左遷のきっかけとなる女性として描かれます。
目次
はじめに—藤原光子(三の君)とはどのような人物だったのか
藤原光子(三の君)が生きた時代
藤原光子(三の君)の生涯と主な出来事
まとめ
藤原光子(三の君)が生きた時代
花山天皇が出家し、一条天皇が即位すると、藤原兼家(かねいえ)が摂政(のちに関白)を務め、その死後は嫡男・道隆(みちたか)が関白を継ぎました。道隆の跡を継ぐのは当然、嫡男・伊周と見なされていましたが、叔父の道長(兼家の五男)との権力争いに敗れます。そして、その後に起こった「長徳の変」により、道長の権力は揺るぎないものとなりました。
藤原光子(三の君)の生涯と主な出来事
藤原光子(三の君)の生没年は不明。参考までに、姉の忯子は安和2年(969)に生まれています。
容貌も心も美しい、三の君
藤原光子は、藤原為光(ためみつ)の三女として生まれました。為光の長女は、権中納言・藤原義懐(よしちか)の妻、次女・忯子は花山天皇の女御、妹・儼子は花山法皇の寵姫で法皇の死後、道長の妻になります。兄・斉信(ただのぶ)は、花山天皇・一条天皇の時代に政治を補佐した4人の公卿「四納言」の一人として活躍しました。
光子に関する資料はほとんどありませんが、『栄花物語』巻第四「みはてぬゆめ」の一説に、次のような描写が出てきます。
寝殿の上とは、三の君をぞ聞こえける。
御かたちも心もやむごとなうおはすとて、父大臣いみじうかしづきたまつりたまひき。
女子はかたちをこそといふことにてぞ、かしづききこえたまひける。
その寝殿の御方に、内大臣殿は通ひたまひけるになんありける。
(寝殿の上とは三の君のことです。
容姿も心も美しく、父大臣はとても大切にお育てになられました。
女性は姿かたちこそ大事といって、とても大切にされていました。
その三の君のもとに、内大臣・藤原伊周殿が通っていらっしゃったのです)
【姉・忯子の死で事態が動き出す。次ページに続きます】