取材・文/沢木文
親は「普通に育てたつもりなのに」と考えていても、子どもは「親のせいで不幸になった」ととらえる親子が増えている。本連載では、ロストジェネレーション世代(1970~80年代前半生まれ)のロスジェネの子どもがいる親、もしくは当事者に話を伺い、 “8050問題” へつながる家族の貧困と親子問題の根幹を探っていく。
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北海道札幌市で精神科医の夫とその妻が、一人娘(29歳)と殺人を共謀したとされる事件が連日報道されている。それとともに、「ヘリコプターペアレント」という言葉が話題になっている。これは、子供を助けるために、すぐに介入してくる親のことを指す。子供の上空をヘリコプターのように旋回して見守り、子供が困った事態になると、支援の手を差し伸べるのだ。人間は怠惰だ。困難や試練は避けたい。親がヘリコプターペアレント化すれば、子供は成長の機会を失い自立できなくなる。親も子供から離れられず、自分の人生を子供に奪われてしまう事態にもなるのだ。
今回、お話を伺った宣子さん(70歳・無職)は、ヘリコプターペアレントの典型だ。愛する息子(40歳)を見守るために、幼稚園から大学まで密着するように育てる。それができたのは、両親が不動産を所有する資産家の一人娘だったからだ。
息子にのめり込むあまり、夫や娘に愛をかけられなくなる。2人を放置した結果、宣子さんが42歳のときに夫から離婚を切り出される。夫は、交際していた別の女性と結婚。当時17歳の娘も父親とその女性を慕い、ついていった。以来28年間、連絡を取っていない。
大学卒業後の息子は、宣子さんの父が経営する不動産管理会社に入る。全く働かずとも、月に50万円以上のお金が入る身分を手に入れたのだ。
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10年前、父親が死ぬまではなんとかなった
宣子さんはかつて都心の豪華なマンションに暮らし、華やかな生活をしていた。それからたった18年で、なぜ都内郊外の木造アパートのカビ臭い一室に息子と住むようになったのだろうか。
「それは、10年前にパパが死んじゃってから。それまではなんとかなっていたの。パパは15年前にママが亡くなってから、体調が優れなくて入退院を繰り返していたのね。それで、パパが亡くなった後に顧問弁護士といろいろ見たら、ウチには財産がほとんどなくなっていたの」
それまで都心に所有していた多くの貸しビルは人手に渡っており、補修費や建築費の借金が残っていた。顧問弁護士からは、競走馬や原野商法などに投資して大損していたとも報告をされた。手元にはアパートと、美術品を売却した2000万円が残された。宣子さんは死ぬまでになんとか生活できるが、息子は厳しいだろう。
以前、所有していた財産に比べて、残されたものはあまりにも少ない。宣子さんに財務諸表を読めるのかと聞くと、「なに? それ?」と言う。息子が社員として在籍していた不動産管理会社も解散することになり、息子は30歳でなんの経験もないまま無職になる。それからは、友達とTシャツ会社を作ってはうまくいかず、友達の会社に入ってはクビになったりして、家にいるという。
「友達はいるみたいで、夜は遊びに行っているみたい。さすがに私もついていけないから、お任せ。お金は2000万円からなんとかしているみたい」
宣子さんの父について聞くと、「パパは二代目のボンボンなの。骨董品とか車とかが好きで、大正生まれなのに海外留学もしている。パパの若い頃の写真を見ると、アメ車に乗ってかっこいいのよ。ママはかつてちょっとだけ女優をしていたから、ホントに美男美女カップルだった」と語る。
初代が苦労して開拓した事業とお金を、当たり前のように享受する2代目。3代目が中興の祖となるケースはまれにあるが、だいたいがそのまま事業は消えていく。「財産は3代でなくなる」とはよく言ったものだ。
宣子さんの元夫について聞くと、「細かくて気難しくて、怖い人だった。私がやることなすこと反対して、息子にもよく手を上げた」と語った。宣子さんの父と元夫は、ある経営者のパーティで出会ったという。当時の元夫は、大手企業の会長のカバン持ち(私設秘書のような存在)をしていたという。
「元夫は貧乏育ちで、ホントにケチだったの。高校卒業後に上京し、旋盤工場に勤務しながら夜間大学を卒業した人で、私の周りにはいないタイプ。野性的でカッコいいんだけど、最初から合わなかったのよ」
元夫は宣子さんの父親の不動産管理会社に入ると、さまざまな部門を立ち上げる。
「パパは身内と会社ごっこがしたかったのよ。だから、離婚のときはホントに落胆していた。別れてからも、私に内緒で連絡を取っていたみたい」
【アパートは最後の砦のようなもの……次のページに続きます】