はじめに-北条氏直とはどんな人物だったのか
北条氏直(ほうじょう・うじなお)は、関東の有力大名・北条氏の最後の当主として有名な人物です。小田原城に籠城して、豊臣秀吉と戦うも敗れ去り、高野山に追放されました。
そんな氏直ですが、実際はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、読み解いていきましょう。
2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』では、北条家5代目当主で、小田原合戦の際には父・氏政に異を唱えて、義父の家康と通じて北条家存続の道を探る人物(演:西山潤)として、描かれます。
目次
はじめに-北条氏直とはどんな人物だったのか
北条氏直が生きた時代
北条氏直の足跡と主な出来事
まとめ
北条氏直が生きた時代
戦国大名にとって重要なことに家督の継承がありました。いつまでも自分が生きているわけではないので、次の後継者を定め、それを育成していくのは非常に大事なことでした。
ただ、事業を子に譲り、自分が完全引退するタイミングを決めるのは難しかったようです。徳川家康は慶長8年(1603)に征夷大将軍に就任し、2年後には子の秀忠に譲ってしまうものの、実権は持ち続けます。
北条氏直は父・北条氏政から家督を譲られるも、氏政が以前強力な権限を持っていました。二重権力のような状態のなかで意思決定を混乱させ、北条氏滅亡の要因の一つとなるのです……。
北条氏直の足跡と主な出来事
北条氏直は生年が永禄5年(1562)で、没年が天正19年(1591)です。その生涯を、出来事とともに見ていきましょう。
北条家当主としての活動
氏直は北条氏政の子として、永禄5年(1562)に生まれました。母は武田信玄の娘・黄梅院です。
永禄12年(1569)に、今川氏真の養子となり、駿河を譲られました。天正8年(1580)には駿河の黄瀬川で武田勝頼と対陣中に、氏政から家督を継いで北条家の5代目当主となります。しかし、完全に氏直が実権を掌握したわけではなく、氏政は「御隠居様」などと敬称され、氏直の政務のサポートなどを行いました。
天正10年(1582)、本能寺の変が起きると、織田信長の部将で関東管領だった滝川一益を攻撃し、関東から追い出すことに成功します。
また、信濃の小県・佐久地方を平定して甲斐にも進出し、武田の旧領をめぐって徳川家康と争いました。結果的に、氏直は上野国の領有と家康の娘・督姫との婚姻を条件に、講和を結びます。
【小田原合戦で敗北、北条氏の終焉。次ページに続きます】