取材・文/沢木文
親は「普通に育てたつもりなのに」と考えていても、子どもは「親のせいで不幸になった」ととらえる親子が増えている。本連載では、ロストジェネレーション世代(1970~80年代前半生まれ)のロスジェネの子どもがいる親、もしくは当事者に話を伺い、 “8050問題” へつながる家族の貧困と親子問題の根幹を探っていく。
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悟志さん(70歳)の息子(45歳)は、父と同じ有名大学を卒業し、新卒でメガバンクに入行するも、転職を繰り返している。前編では、なぜ、息子はプライドだけが高い差別主義者になってしまったのかを紹介した。ここでは、父の人生と、子育てへの後悔、これからの未来についてを語る。
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東工大出身だという小指がない男から教わったこと
妻は徹底的に息子を甘やかした。そして、間違った自己肯定感を植えたのではないか。
「女房はいじめやブラック企業の話を聞きつけるたびに、“アーちゃん(息子)が自殺しちゃったらどうしよう”と甘やかした。学生時代は、勉強に支障が出るからと、家事も手伝わせなかったし、アルバイトもさせなかった」
悟志さんの給料は高い。妻は専業主婦だが親子3人で暮らすには何の支障もない。悟志さん自身の学生時代を聞くと、「静岡から上京し東京の風呂ナシアパートで下宿生活をしていましたよ」という。70年代、世の中は高度経済成長期にあっても、まだまだ貧しかった。
「風呂ナシアパートが当たり前というほど、みんな貧乏だったから恥ずかしくなかった。いろんなバイトをしましたよ。深夜の飲食店のボーイが長かったかな。麻雀で負けて金がなくなると高田馬場の西戸山公園に行くんです。朝6時くらいに行くと、工事現場などの仕事の手配師の人がおり、そこからバスに乗り、どこだかわからない工事現場に行く。仕事が終わると5000円が手渡され、それをもらって帰るんです」
マンションやビルの建設現場が多かった。そこでは、資材置き場からビルの建設現場まで鉄パイプを運ぶ仕事、高所に建材を上げる仕事などをした。
「特に真夏は汗だくでフラフラになりながら働く。何も考えられない。真っ白になりました。初日は動けないほど疲れ、仕事が終わると倒れてしまった。するとある40代の男性が“おまえ、学生だろ。気付けに飲みに連れて行ってやるよ”と一杯飲み屋で、梅エキスを垂らした焼酎を飲ませてくれたんです」
その人は他の人とは違う雰囲気をたたえていた。聞けば東工大を出て、鉄鋼会社に就職するも、人間の傲慢さと自分の無力さ、そして集団行動に耐え切れず、2年で辞めたと言っていた。
「会社を辞めたその人は、足元が崩れるような不安とともに生きてきたと言っていました。手を見ると左手の小指が根元からない。それに気付いた男性は、”ヤクザじゃないよ。建築現場の事故だよ”と答えたんです。そして、“俺たち日雇い労働者にはなんの保証もない。使い捨てだ。そうなる前に学校に戻れ。そして会社を辞めるな。それでも夢をあきらめるな”と言われたんです」
その言葉は悟志さんに重くのしかかった。ほかにも工事現場には、薬物中毒で歯がなくなった人、歩くのもおぼつかない高齢者などがいた。
「それでも懸命に働いている。彼らは高度経済成長を支えた名もなき人々ですよ。世の中はそういう人が支えてくれている。私は年上の男たちからいろんなことを学びました。ほとんどが反面教師ですが、人と仕事すると必ず学びがある。息子が10~20代のうちに、世の中の多様さを知っていたら、あそこまで傲慢にはならなかったと思うんです」
【経歴詐称を推奨したのは妻だった……次のページに続きます】