命を削るように、ゆるやかに死に向かうように働いている
息子は学歴が低い人、女性、自分より年下の人をあからさまに差別した。あるIT企業では専門学校卒の年下の上司だったことで辞めたこともあったという。
「息子がいたIT企業は、なぜかその後、業績を伸ばした。きっと息子が反面教師になっているからでしょうね。そのうちに息子は、その会社のプロジェクトは自分が立ち上げたとか、マネージャーをやったと言い出すようになったんです……いや、妻がそう言うように仕向けたんです」
たった数か月や1年程度しかその会社にいなくとも、さわり程度の知識はある。質問されても概要は応えられるだろう。息子は記憶力がいいという。具体的な数字、そのときの取引先などは覚えている。
「高学歴、メガバンク勤務歴があり、名だたるIT企業に籍を置いている。当然、面接では退職の理由を聞かれるだろう。でも、健康問題や親の介護などもっともらしい理由を言えば採用しますよ。だって、この世は空前の人手不足なのだから」
かくいう悟志さんも、退職後に関連会社から「どうしても来てほしい」と言われて、現在も週5で働いている。最初は週3だったが、どんどん増やされ、今では休日出勤をすることもあるという。
「正直、体は辛いですよ。でもそのたびに、あの小指を失った男性の横顔がちらつく。必要とされているうちは働かなくては。家でのんきに過ごしている息子をかいがいしく世話する妻の姿も見たくありませんしね。“亭主元気で留守がいい”ですよ」
悟志さんは、息子のことはこれまで他人に語らなかったという。しかし、なぜ今話す気になったのだろうか。
「息子みたいな甘ちゃんが増えているから。自分の能力を過信し、詐称した経歴をホントのことだと思い込む嘘つきもいる。今、私が勤務しているのは、中小企業に分類される会社です。人手が足りず、先日、40代の男性を採用した。その男は、息子と同じ雰囲気で“やばいな”と思った。半年もしないうちに、その部署は引っ掻き回され、事後処理に追われたそうです」
さらに、この件で、せっかく育てた若手が「やってられない」と辞めてしまった。
「私の時代は、人事のプロのような人がいて、人を見抜いていた。でもそういう人は2000年代の小泉政権の構造改革のときにリストラされてしまった。あのとき、私は“なんという世界になったんだ”と思った。あれから日本は下り坂になっていったと思う。会社に対して愛と忠誠心がなく、人に仕事を押し付けて、“いい思いをしよう”、“楽してやろう”という人だらけになってしまった」
当然、息子は非正規雇用の人を見下しているという。
「妻が差別主義ですからその影響は大きいですよ。悔やまれるのは、私が育児を妻に丸投げしていたことです。私は2人が寝ている間に家を出て、夜中に帰って来た。たまの休日は疲れて寝ており、若いときには“俺はお前らのために我慢して仕事をしているんだ”とあたった。そのときに、息子は“仕事とは辛いものだ”と刷り込まれ、避ける道を模索しようとする根が植えられたんだと思う」
もはや、悟志さんが何を言おうと、妻と息子の耳には入らない。
「息子は45歳までろくに働いていないので、貯金もありません。これからどうなるのか想像したくないんです」
今は、悟志さんが働いており、持ち家なので生活は維持できている。しかし、死んでしまったらどうなるのだろうか。妻の生活はなんとかなるだろうが、息子は厳しい。40歳を超えて傲慢なままでいる男を採用する会社があるとも思えない。働かなければ、やがて死んでいくか、生活保護を受けることになる。その財源は税金だ。
今、悟志さんは、現実逃避するかのように仕事に打ち込んでいる。その姿は緩やかに死に向かっているようにも見えた。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などに寄稿している。