はじめに-中浜万次郎とはどんな人物だったのか

中浜万次郎、別名ジョン万次郎は、日本人として初めてアメリカ大陸に上陸した人物として有名です。漁の最中に遭難、アメリカの捕鯨船に助けられ、アメリカに渡ったというエピソードは広く知られています。

そんな万次郎ですが、実際はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、読み解いていきましょう。

NHK連続テレビ小説第108作『らんまん』では、土佐の漁師だったものの遭難しアメリカに渡る、中浜万次郎をモデルとした中濱万次郎(演:宇崎竜童)として描かれます。

目次
はじめに-中浜万次郎とはどんな人物だったのか
中浜万次郎が生きた時代
中浜万次郎の足跡と主な出来事
まとめ

中浜万次郎が生きた時代

中浜万次郎が生まれたころの日本には、頻繁にイギリスやロシアなど外国船がやってくるようになります。日本は鎖国状態にありましたが、それを維持し続けることはもはや不可能になりつつありました。やがて開国に向かうことになります。

ジョン万次郎の明治13年(1880)ごろの写真

中浜万次郎の足跡と主な出来事

中浜万次郎は文政10年(1827)に生まれ、明治31年(1898)に没しました。その生涯を出来事とともに見ていきましょう。

無人島から救助される

中浜万次郎は文政10年(1827)に土佐の中浜(高知県土佐清水市)で貧しい漁師の次男として生まれました。9歳の時に父親を亡くし、生活は苦しく、万次郎は幼い時から働きに出ていたようです。

天保12年(1841)、14歳だった万次郎は出漁中に遭難。仲間たちと数日間漂流した後、太平洋に浮かぶ無人島の鳥島に漂着します。鳥島は伊豆諸島に属す島で、万次郎らが漂着するより昔にも、遭難してこの島にたどり着く者もいました。

海上から見た鳥島

鳥島でサバイバル生活を送る万次郎らは、異国船を見かけます。しかし、20キロほども離れているため、声も届かず、諦めかけていました。ところが、その異国船から小船が降ろされ、万次郎たちに近づいてきました。この異国船こそがアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号であり、万次郎をアメリカに導くのです。助けられたのは、漂着から143日後のことでした。

アメリカに渡る

こうして、万次郎らは救助されましたが、当時の日本は鎖国状態。文政8年(1825)に江戸幕府が出した異国船打払令が発動中で、外国船が日本沿岸に近づけば、問答無用で撃沈される恐れがありました。また、帰国できたとしても取り調べを受けますし、命の保証はありません。

ジョン・ハウランド号の船長・ホイットフィールドは、万次郎を除く4人を安全なハワイに降ろしましたが、万次郎の頭の良さを気に入った船長は、アメリカへ連れて行きたいと考えます。

ホイットフィールドの写真

そして、万次郎も船長とともにアメリカへ行くことを決断。この時に船名にちなんだ「ジョン・マン」という愛称をつけられることになります。

アメリカへの留学と日本への帰還。次ページに続きます

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