読書を好み、書の普及に尽力した家康は、鷹狩を愛し、調薬を手がけるなど、多様な顔を持つ武人だった。江戸時代260余年の泰平の世の礎を築いた天下人の人物像を振り返る。

「華やかな衣装で能を舞い、〈数寄の御成〉で世を治めたのです」

能面「弱法師」(表)。水戸徳川家伝来で、家康所用と確認できる貴重な一面。家康は、生前多くの能面を所持していたとされる。徳川ミュージアム蔵 (C)徳川ミュージアム イメージアーカイブ/DNPartcom

江戸幕府は能を〈式楽〉と定めた。式楽とは、幕府の公式行事で演じられる芸能のことだ。
 
家康は今川義元の人質時代に、越智観世十郎太夫(観世家七世の次兄)から直接、能の指導を受けている。質素で堅実とされている家康は、どんな衣装で舞ったのか。
 
徳川美術館で長年徳川家の文化を研究してきた佐藤豊三さんは、「意外に派手な衣装です」という。

「いま残されている家康の能衣装や甲冑を見ると、思った以上に華やかです。若いときにはキンキラの甲冑をつけて戦場に出かけている。地味な家康のイメージは、変えないといけませんね」

家康所用の能狩衣(能の男役が用いる表着)。徳川家の葵の御紋を大胆にデザイン。拝領品として紀州徳川家に伝えられたもの。紀州東照宮蔵


京都の西本願寺に、家康ゆかりの「北(きた)能舞台」がある。もとは駿府城に建てられたものだ。家康が贔屓にしていた金春流の名手・下間少進に与えたとされる。この能舞台もまた、家康の能への傾倒ぶりを物語っている。

西本願寺北能舞台。古式をとどめた造りで、舞台に対し橋掛り(画像左)を斜めに取り付け長く感じさせている。桃山時代、国宝。通常非公開。写真提供/本願寺

家康の〈数寄の御成〉

もうひとつ、武士の嗜に茶の湯がある。家康には、こんな茶の湯のエピソードがあると佐藤さんは語る。

「天正10年(1582)3月、信長・家康の連合軍は甲斐(山梨県)の武田氏を滅ぼします。信長は家康を安土城(滋賀県)に招き戦勝を祝った。そのあと信長は京都の本能寺へ入ります。そして家康を堺へと向かわせた。堺で茶会を催し、家康にお茶デビューをさせようと思ったからです。
当時茶の湯は、武士たちが勝手にできたわけではありません。天下人の許しが必要でした。家康が堺で茶事をすることは、家康が信長の家臣団の出世頭だと世に示すことだったのです」

染付唐草文茶碗 銘 荒木。有岡城主荒木村重や千利休を経て家康が所蔵した大名物。中国・明時代・16世紀、口径13.81㎝。徳川美術館蔵
唐物茶壷 銘 松花 。足利義政から信長、秀吉などの手を経て家康に伝わった大名物。高さ39.7cm。重文。徳川美術館蔵

幻の茶会から16年、秀吉亡きあと家康の元には堺衆や大名から多くの名物茶道具が献上された。家康の茶はどのような性格だったのか。ふたたび佐藤さんが語る。

「信長と秀吉が個人プレーの茶とすれば、家康は組織的な茶の湯です。将軍が臣下の屋敷を訪問することを〈御成〉といいます。そのとき臣下は式正(正式な儀式)で将軍を迎えます。式正は室町幕府の時代に確立しますが、家康はそこに茶の湯を加えた。それを〈数寄の御成〉といいます」

家康の茶の湯は、天下を治める新しい式楽ともいえるのだ。

解説 佐藤豊三さん(徳川美術館参与)
昭和21年、愛知県生まれ。中世から近世の日本文化を研究。徳川美術館では茶の湯や刀剣など数多くの企画展に携わる。『徳川家康‐ その政治と文化・芸能』(共著)ほか。

徳川美術館

愛知県名古屋市東区徳川町
電話:052・935・6262
開館時間:10時〜17時(入館は16時30分まで)
休館日:月曜、年末年始 
入館料:1200円
JR中央本線大曽根駅南口から徒歩約10分

取材・文/田中昭三 撮影/宮地 工
※この記事は『サライ』2023年2月号より転載しました。

 

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