2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公は、武家政権の基礎を固めた武士「北条義時」だ。義時の周囲には、魅力的な女性たちが多くいた。そんな鎌倉時代の女性たちの生涯を通じて、義時の周りに渦巻く人間模様を描いてみたい。今回は、劇中、宮澤エマさんが演じる実衣こと阿波局の実像を紹介する。
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義時の妹
北条義時の妹に阿波局という女性がいる。母は未詳であるが、義時や政子と同じ伊東氏の娘であったと考えられる。残念ながら、阿波局の生年はわからないが、頼朝が挙兵し、鎌倉に入った1180年には、10代であったと推測される(ちなみに義時は18歳)。挙兵の折には、政子と行動を共にし、伊豆山権現の僧坊で一族の無事を祈っていたことであろう。
阿野全成との結婚
周知の通り、姉の政子は伊豆に流されていた流人の源頼朝と結ばれた。一方、阿波局が夫としたのは、頼朝の異母弟にあたる阿野全成である。幼名を今若丸という全成は、源義経と同じく常盤を母とし、出家して醍醐寺に入っていた。兄頼朝が平家打倒の兵を挙げたことを耳にすると、1180年8月に下総国鷺沼に逗留していた頼朝のもとに参向し、再会を果たした。ときに28歳。阿波局が全成と婚姻したのは、これ以降のことであろう。二人は十以上は離れた夫婦であったと推測される。
この婚姻によって、北条氏は頼朝と二重の姻戚関係を結び、その関係はより強固となった。
女房として、実朝の乳母として
鎌倉では、将軍御所ではたらく女房をつとめた。また、1192年8月、頼朝の次男千幡(のちの実朝)が生まれると、その乳母(めのと、養育者)に選ばれている。夫全成とともに、頼朝・政子の信頼を得ていたことがうかがわれる。
しかし、頼朝が急死すると、鎌倉では御家人同士の内紛が相次ぐ。最初に没落したのは、御家人統制の要である侍所の別当(長官)をつとめ、2代将軍頼家の乳母夫(めのと)でもあった梶原景時とその一族であった。この景時失脚のきっかけをつくった人物こそ阿波局である。
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