ライターI(以下I):畠山重忠(演・中川大志)が降伏してきて義時(演・小栗旬)を頼ります。
編集者A(以下A):これまでも劇中で、ほかの坂東武士と違って義時は理性的という流れになっていますから、同輩には頼りにされるのでしょう。案の定、義時は〈俺が何とかする〉と請け合います。
I:私が大好きな坂東武士の和田義盛(演・横田栄司)が〈断じて許さん〉〈また寝返るに決まってる〉と怒りに震えていました。
A:『吾妻鏡』には、頼朝から三浦一族に対して遺恨を残すなという意味のことを言い聞かせられて、三浦一族も了承したことが記されていますが、そりゃ、和田義盛にしてみれば、一族の長で祖父にあたる三浦義明を討たれているわけですから許せないですよね。土肥実平(演・阿南健治)に〈みんな仲良く〉といわれてもにわかに首肯できないのは当然です。
I:この段階では皆、腹におさめていたわけなんですね。
A:構図としては、広島やくざの抗争を描いた『仁義なき戦い』に似ていますよね。神戸の大勢力の侵攻から広島を守るために過去の恩讐を棚上げして一致団結を試みる。坂東武士らも平家と戦うという共通の目標があるうちはかろうじてまとまっていたということなのでしょう。
頼朝と全成の役割分担
I:頼朝(演・大泉洋)が義時に〈弟は星を読むことができて、易もよくする〉と異母弟の阿野全成(演・新納慎也)を紹介し、全成も〈吉兆も凶兆も見逃さず定命を知り皆様の道しるべになることができればこれ幸い〉と応じます。この全成のキャラ設定、面白いですよね。
A:さっそく御所の建設地について、岡崎義実(演・たかお鷹)の進言を容れず大倉に決めたい頼朝の意を汲んで全成は〈大倉、方角も申し分ございません〉と答えました。政(まつりごと)の長と易の長がタッグを組めば、もう怖いものなしですね。
I:聖俗双方を兄弟で牛耳るということですから、確かに頼朝と全成の組み合わせは最強かもしれません。今後描かれると思われる全成の縁組も「なるほど~」という感じになりますね。
A:とはいえ、こんなことやっていたら組織の乱れの要因になりますよね。さっそく政子(演・小池栄子)の鎌倉入りの日程について頼朝と全成の意図的な措置が登場しました。なんと、亀(演・江口のり子)との逢瀬の時間を設定するためでした。
I:政子の目から亀を遠ざけるために全成を利用するとはとんでもないことですね。
上総広常がなんともいい味を出している
I:今週、面白かったのは、上総広常(演・佐藤浩市)が〈頼朝を呼んでこい。俺は佐殿なんて呼ばねえぞ〉といった場面。三浦義村(演・山本耕史)が〈武衛(ぶえい)という呼び方もある〉と提案します。広常がさっそく興味を示して、〈よし、これからは武衛と呼ぶ〉と宣言します。〈むしろ佐殿よりもっと敬う呼び方ではないですか〉という流れになるのですが、当時の坂東武士たちの空気をうまく伝えてくれる描写だなあ、と思ってニヤニヤしながら見ていました。三浦義村が「唐名」であることを説明していましたが、「武衛」というのは京都にいたころに頼朝が任ぜられた右兵衛佐(うひょうえのすけ)の「兵衛」の唐名「武衛」のことなんですね。
A:和田英松博士の『新訂 官職要解』(講談社学術文庫)では、兵衛府について〈(内裏の)宣陽・陰明門以外を守衛し、行幸啓のときに供奉し、雑役を勤める役である〉と説明されています。長官が「督(かみ)」で頼朝が任ぜられた「佐(すけ)」は次官にあたります。頼朝が任官したのは平治の乱直後の13歳の時ですが、平清盛の最初の任官も12歳の左兵衛佐です。
I:「唐名」でいえば、平清盛の「平相国(へいしょうこく)」の「相国」も太政大臣の唐名ですし、豊臣秀吉の「太閤」ももとは太政大臣の唐名のひとつ(後に太政大臣を退任した人の呼称となる)。水戸黄門の「黄門」も中納言の唐名ですね。
A:歴史上の用語ってほんとうにややこしいですが(笑)、さりげなくこういうやり取りを挿入してくるのはほんとうに面白いです。
スタッフクレジットへの提言
I:頼朝軍がどんどん補強されて、伊東祐親(演・浅野和之)・大庭景親(演・ 國村隼)陣営の雲行きが怪しくなってきました。山内首藤経俊(演・山口馬木也)、梶原景時(演・中村獅童)らと集まって今後のことを協議していましたが、梶原景時がいち早く〈それがしは大庭殿の家人でない〉と離脱します。伊東祐親が頼朝のことを〈血筋の良さを鼻にかけ、流人の身でわれら坂東武士を下に見る。あんな男にどうして愛娘をくれてやることができようか〉と嘆いていましたが、後悔先に立たずですね。
A:坂東武士を下にみていたのは堤信遠(演・吉見一豊)らも同様だったはずですが、やはり平家に近い立場では動静を見誤ってしまったのでしょう。ここにいる四者がその後どうなったか、頼朝と坂東武士たちの間に発した「すきま風」とも関連してきますから、注目してほしいですね。
I:畠山重忠を許したことに和田義盛はもやもやしているようですし、義朝ゆかりの地に御所を建設すべしとした岡崎義実の意見も採用されませんでした。広常は頼朝と酒を酌み交わしたいと希望していました。やっぱりいつの時代もそういう付き合いが重要だったんですね。
A:源氏の棟梁と一緒に酒を酌み交わす。と同時に自分たちの要望を伝える。そんな場だったのでしょう。なにしろ坂東と一口で言っても、八か国、現在の関東地方ですから広範囲です。それぞれの思惑を一致させることは困難でしょう。源氏の棟梁として、坂東武士たちの取りまとめ役を担ったのが頼朝。そのかじ取りは思った以上に大変だったでしょう。
I:ということで、頼朝と坂東武士らの親睦をはかるために一席もうけられました。約840年前のことですが、酒席の重要性は昭和、平成までも受け継がれました。コロナ禍もあって潮目が変わった印象もありますが、令和時代にどうなっていくのでしょう。
A:今週はさらに鎌倉での八幡宮の造営など盛りだくさんの内容でしたが、頼朝のもとに参陣すべく南下している源義経(演・菅田将暉)の描写が興味深かったです。
I:義経が獲物のうさぎを巡って野武士と遠矢を競うことになりましたが、なんと野武士を射殺してしまいます。びっくりしました。
A:卑怯者と感じるか、この時代の武士らしいと感じるか、ブラック義経だ! と感じるか、感じ方もさまざまだと思いますが、私はこのシーンを見て、『鎌倉殿の13人』では、今まで見たことがない義経が見られるのではないかと、いい意味で心がざわつきました。
I:それは楽しみでしょうがないですね。
A:さて、最後に制作陣にひとこと。本作ではスタッフクレジットをラストに流していますが、やはり最後まで物語に没頭したい。ちょっと気が散ります。これはやめてほしいとリクエストしたいと思います。スタッフクレジットは本編終了後にワンシートにしてまとめて出すのでいいと思いますが、いかがでしょうか。
I:確かに、ラストシーンで次週への期待ふくらむ場面が多いですからね。
A:後世に残る名作大河になりそうな気配がしますから、敢えて申し添えたいと思います。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。歴史作家・安部龍太郎氏の『半島をゆく』を足掛け8年担当。初めて通しで見た大河ドラマ『草燃える』(1979年)で高じた鎌倉武士好きを「こじらせて史学科」に。以降、今日に至る。『史伝 北条義時』を担当。
●ライターI:ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2022年1月号 鎌倉特集も執筆。好きな鎌倉武士は和田義盛。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり