文/池上信次
今回は、「ジャズ演奏のネタ曲・日本の童謡編」(第137回(https://serai.jp/hobby/1053586))の続きです。そこで紹介したセロニアス・モンク(「荒城の月」)やリー・モーガン(「月の沙漠」)ほどは、現在は知られていないと思いますが、彼らが演奏する10年以上前に日本の童謡を取り上げていたジャズマンがいます。「現在は」としたのは、これは当時の日本では爆発的に売れたジャズ・レコードだったからです。そのジャズマンとは、ドラムスのジーン・クルーパ(1909年生まれ〜73年死去)。ベニー・グッドマン(クラリネット)・オーケストラの「シング・シング・シング」でのエキサイティングなプレイは、とくによく知られているところですね。
ジーン・クルーパは1952年に自己のトリオを率いて来日しました。トリオのメンバーは、マルチ・サックス奏者のチャーリー・ヴェンチュラとピアノのテディ・ナポレオン。事前の告知がなかったので進駐軍慰問と思われていましたが、来日直後から日劇などで連日コンサートを開催し、これが来日ミュージシャンによる戦後初の本格的ジャズ・コンサートとなりました。第二次世界大戦終戦後、日本のジャズ・シーンは急速に活況を呈し、1950年代初頭は日本のジャズマンが大人気。たいへんなジャズ・ブームになっていました。その最中にアメリカのトップ・グループが来日したのですから、コンサートはどこも超満員の大盛況だったそうです。この状況を見たレコード会社はクルーパのレコーディングを画策するも契約の問題などで難航(当時クルーパはアメリカのマーキュリーレコードの専属でした)。しかし、さまざまな問題をクリアして、ついに歴史的なレコーディングを実現させました。レコーディングされたのは、クルーパの代表曲「ドラム・ブギー」、スタンダードの「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」「マイ・ブルー・ヘヴン」、日本で書かれた「トーキョー・エクスプレス」「銀座でストンプ」、そして「荒城の月」と童謡「証城寺の狸囃子」。
日本でのみ発売されるという契約のレコードですから、とくに「日本調」である必要はないでしょうし、リスナーとしては「本場もの」を求めているであろうことは容易に想像できますが、にもかかわらずなぜ「荒城の月」と「証城寺の狸囃子」だったのでしょうか。クルーパがこれらの曲を知っているとは思えないので、おそらく日本のスタッフの意向でしょうが、「荒城の月」は(日本の象徴的名曲バラードとして、とか)わかる気はしますが、大スターに、よりによって「タヌキ」とは……。私はずっと不思議に思っていました。それが、先日たまたまNHKの朝ドラ『カムカムエブリバディ』を見てひらめき、思わずアッ! と声を上げてしまいました。
NHKの連続テレビ小説『カムカムエブリバディ』は、現在(2022年1月半ば)、ヒロインとジャズマンの恋愛が軸となったストーリーが展開されていますが、少し前は現在のヒロインの母親が主人公でした。その主人公はラジオの英会話講座『カムカム英語』を聴いて英会話を習得し、それがストーリーの大きな転換点になるのですが、それはさておき、その『カムカム英語』のオープニング・テーマ曲が、英語歌詞が付けられた「証城寺の狸囃子」だったのです。歌い出しは、番組タイトルになっている「Come, Come, Everybody」。これが実際にあったラジオ番組というのは知っていましたので、調べてみると……。
事実としては、そのラジオ番組の正式名称は『英語会話』。NHKラジオ第一放送で放送され、平川唯一講師が担当した1946年から1951年は、平川が考案し作詞したテーマ曲(「証城寺の狸囃子」英語替え歌)が使われ、通称「カムカム英語」として大人気を博したそうです。「NHKアーカイブス」サイトの「NHK放送史」によれば、当時『英語会話』のテキストはなんと月20万から30万部が発行されて、ファンが自主的に組織した「カムカムクラブ」は全国になんと1000もあったとのこと。ドラマの中では「カムカム英語」が放送終了になると、主人公が深刻な「カムカムロス」状態になってしまうのですが、当時の状況を見ればそれはけっして大げさではなかったようです。なお、実際には平川唯一による英語講座は、NHK終了から1年経たずして『カムカム英語』のタイトルでラジオ東京で復活し、その後、文化放送に移って1955年まで放送されています。
5年ほど続いたNHKの「カムカム英語」放送終了は1951年2月9日。そしてジーン・クルーパの来日と録音は1952年4月。はい、言いたいことはもうおわかりですね。ジーン・クルーパに「証城寺の狸囃子」を演奏させたのは、この曲は「カムカム英語」のテーマとして日本じゅうで広く知られていた曲だったからではないでしょうか。日本でテレビ放送が始まったのが1953年2月ですから、当時のラジオの影響力は現在とは比較にならないほど大きかったはず。「カムカム」のおかげで、この「タヌキ」にはアメリカの匂いも少し付いていたでしょうから、たんなる童謡の認識ではなかったのでしょう。
ちなみに、クルーパのSP4枚(7曲)の録音料は170万円(当時)。しかし、発売後なんと3週間でリクープされたといいます(LP『オリジナル原盤による日本のジャズ・ポピュラー史(戦後編)』ライナーノーツより)。170万円は現在の1200万円に相当します(日銀発表の消費者物価指数で計算)。これだけの経費をかけてレコードを出すからには、絶対に売れなきゃいけなかったんですね。「タヌキ」のフィーチャーは、じつは緻密なマーケティングの結果だったと思うのです。
(来日公演についての参考資料:小川隆夫著『伝説のライヴ・イン・ジャパン』シンコーミュージック・エンタテイメント)
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。