いよいよ大詰めを迎えたNHK大河ドラマ『真田丸』。幸村と名前を変えた真田信繁の今後の活躍(と最期)がどう描かれるかが気になり、ドラマから目が離せないという方も少なくないだろう。
しかし、そもそも真田幸村という武将がなぜこれほどまでに注目されてきたのだろうか?
緻密な研究によってその謎を解き明かしているのが、『真田幸村 家康をもっとも追いつめた男』(河合敦著、小学館新書)である。
真田幸村は、時代を超えて多くの人から支持される日本史のヒーロー。しかし、史実として確かな記録をもとにその生涯を描いたとしたら、おそらく原稿用紙10枚程度で事足りてしまうだろうと著者は記している。
理由はシンプル。つまり幸村が歴史上に名を馳せたのは、大坂冬の陣から夏の陣までのわずか半年にすぎないからだ。そもそも、幼少時から関ヶ原合戦に敗れて蟄居(ちっきょ)するまでの期間についての記録は、ほとんど存在しないのだという。
それにもかかわらずヒーローとして愛され続けてきたのは、生き絶える数時間の行動にあったと著者は分析する。自分の命と引き替えに、徳川の大軍に真正面から挑みかかり。最後の最後で家康を追いつめた功績。結果的にはそれが自身の死に繋がってしまったわけだが、そんな死に様が日本人の心を揺さぶるというのである。
本書の魅力のひとつは、そんな幸村が生きてきた道のりを緻密に再現している点にある。豊富な資料をもとにそのストーリーを再現し、あたかも目の前で歴史が動いているかのような臨場感を味わうことができるのだ。
たとえば以下の描写には、命を投げ打って迫ってくる幸村に対する家康の恐怖心がリアルに表れている。
「真田幸村が大阪城へ入ったという知らせは、まもなく家康のもとにも届いた。『仰応貫録(ぎょうおうかんろく)』によれば、真田一族の九度山出奔が早馬によって伝わると、家康本人が直接現れ、早馬で来た使者に向かい、「籠城したのは親か子か」と尋ねたという。このとき家康は、戸に手をかけていたが、その戸がガタガタと鳴るほど震えていたという。」(147ページより)
史実を生々しく描写することは決して楽ではないが、その点をクリアしているからこそ、本書は読み手をぐいぐいと引きつけるのだ。
また興味深いのが、幸村が大阪城に築いた「真田丸」についての記述だ。
「積極的出兵案を否決された真田幸村は、大阪城の弱点とされた城南の惣濠(そうぼり)の外に、出城を築く許可を求めた。大阪城は天満川、大和川、平野川、さらに水濠に囲まれ、大軍が一度に攻め入ることができぬ堅固な造りになっていたが、南側だけ大地が広がっていた。敵が攻めてくるなら、ここしかない。それゆえ幸村は、出城をつくって自ら城将隣、ここで華々しく戦おうとしたのである。」(160ページより)
そして著者は当時の光景を再現して見せたのち、真田丸が設けられた場所、すなわち現在の天王寺区玉造本町、玉造元町のあたりを実際に歩き、幸村に想いを馳せる。過去と現在をつなぐようなその表現は、私たち読者を真田丸のあった時代へと誘ってくれる。
「幸村は、「時は来た。ねらうは家康の首、ただ一つ!」そう全軍に伝え、三千(異説あり)の配下をまん丸の陣形に編成し、そのまま茶臼山から天王寺へ向けて駆け下っていった。赤備の真田軍団は、家康からは真っ赤な火の玉が天から降ってきたように見えたかもしれない。」(25ページより)
「幸村はもう周囲の敵など見ていなかった。その目に入るのは、家康本陣にはためく金扇の馬印と「厭離穢土、欣求浄土」と大書された軍旗だけだった。ついに激しい突撃の結果、徳川の旗本隊は切り崩され、本陣を大混乱に陥れた。馬印や軍旗も倒れ、驚くべきことに、本陣の旗本たちも己の命欲しさに、次々と逃げ散っていったのである。」(26ページより)
「しかしながら、三度目の突撃によって、真田隊は戦闘力を失い、その動きを止めた。」……。(26ページより)
手に汗にぎる迫真の描写。いま読んでおけば、ドラマ『真田丸』のクライマックスをさらに楽しむことができるだろう。
取材・文/印南敦史
【参考文献】
徳川軍を手玉にとった知将の知られざる「最後の一日」!
『真田幸村 家康をもっとも追いつめた男』
本体760円+税
“日本一の兵(ひのもといちのつわもの)”と謳われた真田幸村(信繁)はなぜ家康本陣を崩壊させるほどの活躍ができたのか?それは豊臣への忠義か? 徳川への敵愾心か? それとも・・・・
いまなお絶大な人気を誇るこの戦国武将のすべてを、日本テレビ系列『世界一受けたい授業』やテレビ朝日系列『Qさま!!』などで多くの歴史ファンに支持されている歴史作家・河合敦氏が綴った、真田関連読み物のなかでも完全保存版といえる一冊。
壮絶に散った大坂の陣はもちろん、幸隆、昌幸、幸村と続く真田三代の戦(いくさ)上手な血脈、関ヶ原合戦での心理戦、幸村自身の好戦的な人間性、大河ドラマのタイトルにもある「真田丸」築城の真実など、貴重な史料を再検証し、いままで明かされていなかった史実に迫る。