文/鈴木拓也
数ある戦国武将のなかでも人気の高い上杉謙信。
長年のライバルだった武田信玄と、川中島を舞台に幾度も合戦を繰り広げたことは、戦国通でなくともご存知だろう。
謙信といえば川中島の戦いのイメージが強いため、本拠地の越後から関東へ十数回もの遠征を敢行した事実は、案外知られていない。
この関東遠征は「越山」と言われ、謙信が31歳から45歳の頃まで続いた。
それにしても、なぜ、このような遠征を繰り返したのだろうか?
その謎に肉薄した著作が、歴史家の乃至政彦さんによる『謙信越山』(ワニブックス)だ。
通説よりも遡る最初の越山
本書の冒頭で語られるのは、謙信の初めての越山が、天文21年(1552)だという通説を覆すエピソード。この頃は、長尾景虎と名乗っていた時期で、まだ二十代前半の若者。だが、前途有望な越後の太守として周囲から期待されていた。
その景虎を頼って亡命してきたのが、関東管領であった上杉憲政。関東進出の野望を隠さない北条氏康に居城・平井城を落とされて、越後まで逃れてきたのであった。
憲政の願いは、平井城の奪還。それに応じた景虎が、憲政を擁して越山し平井城を取り戻した。しかし―
はじめての越山は、憲政を平井城へ戻し、周辺の群雄に睨みを利かせることで終了した。景虎は「めでたし、めでたし。あとは任せたぞ」とばかりに気持ちよく引き揚げた。
何事もなければ、景虎が再び関東に入る必要などない。だが北条氏康はすぐに逆襲を開始した。(本書26pより)
結局、憲政は居城を捨てて再度越後へ。初めての越山は、ふりだしに戻るかたちで終わったという。
小田原城へ迫る景虎軍
景虎は、平井城を奪回すべく、すぐさま次の越山は計画したか、と言われれば否である。乃至さんが「越相大戦」と名付けた、相模の北条家との決戦を求めて越山するのは、何年も後。その行動のきっかけとなったのは、景虎の上洛時に接触してきた関白・近衛前嗣の提案であった。それは端的に言えば「京都から与えられた権威と自身の武力をもって、関東甲信越を支配下に置いてからその大動員権を使い、改めて上洛する。その上で幕政を刷新する」というもの。
将軍・足利義輝の後押しもあり、さらに「上杉七免許」と俗称される特権も与えられ、準備を整えた景虎は、越山を実行する。永禄3年(1560)8月のことであった。
景虎の軍勢は破竹の勢いで進撃し、10月上旬には憲政の旧分国・上野を手中に収め、翌年1月下旬には、下総の古河公方・足利義氏のいる古河城へ迫った。義氏は小田原城へ逃げ込むが、意に介さず、北条方の重要拠点である武蔵松山城を制圧し、相模鎌倉へと向かう。
このときまでに景虎のもとには関東中の諸士が馳せ参じており、その人数は雑兵を含めて11万5000人を超えていたともいう(『謙信公御年譜』など)。誇張された人数だろうが、前代未聞の大軍だったのは間違いない。武田・今川の援軍を得た北条でも、真正面から対抗できなかった。大軍は小田原城へ迫っていく。(本書148pより)
そのまま小田原城を陥落させれば、戦国の歴史はまるっきり塗り替えられていただろう。しかし、ここでケチがつく。
小田原城を落とせなかった意外な理由
小田原城を攻囲している最中、景虎は関東管領職を継承することになった(その際に上杉政虎と改名)。継承の経緯は、本書に詳しく書かれており割愛するが、鎌倉の鶴岡八幡宮において就任式を執り行っているときに、「成田長泰打擲事件」が起きたという。
長泰は、政虎の社参を馬上から見下ろしていた。成田家は、八幡太郎義家の時代より、大将相手に下馬の礼を取らずにいて、その例に倣っていたのである。
だが、これを見た政虎は「無礼ではないか」と怒り出し、扇を振り上げ、長泰の頭を打ち、その烏帽子を叩き落とした。鎌倉中に集まる味方の諸士はひどく驚いた。(本書170~171pより)
長泰は、政虎の越山開始時に駆け付け、いち早く味方になった有力領主。それが衆目の中で恥をかかされたため、激昂して家来ともども武蔵へ還ってしまい、同調した味方の領主たちも撤退してしまったという逸話だ。
これを乃至さんは、「あまりに現実離れしており、ツッコミどころが多い」としながらも、一次史料と二次史料を紐解き、現実にあったのではないかと思える説に収斂している。推論としては、打擲事件は実際にあったが、その後の流れで長泰は、政虎暗殺を企てた。それには失敗するが、兵糧を奪って撤退していった。武器はあっても兵糧がなくては、戦は続けられない。関東では疫病が流行していたこともあり、関東の領主たちは、政虎を置いて各々の領地へ引き揚げてしまったという顛末だ。史実的にも小田原城包囲は1か月しか続かず、政虎は鎌倉へと兵を引いている。そこへ北条軍の追撃があり、甲斐の武田信玄が越後を狙う動きをし始めた。政虎はやむなく越後の春日山城へ戻り、かくして第四次川中島の戦いの布石が打たれる…関東の覇者となる夢はついえたが、新たなドラマの一部始終についても、本書で説かれている。
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これまで上杉謙信について書かれた書籍は数多いが、越山をキーワードに論を展開したものは本邦初で、読んでいて新鮮味がある。戦国史の別の側面を知りたい方には、おすすめの1冊といえよう。
【今日の教養を高める1冊】
文/鈴木拓也 老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライター兼ボードゲーム制作者となる。趣味は神社仏閣・秘境巡りで、撮った映像をYouTube(Mystical Places in Japan)で配信している。