50歳で選んだ“俳優”という仕事。朝食の習慣がなかった以前と異なり、今はパンとヨーグルト、紅茶の朝食が決まりだ。
【黒岩徹(くろいわ・てつ)さんの定番・朝めし自慢】
初舞台は50歳と7か月。ギリシア悲劇を題材にした『アンチゴーヌ』で、アンチゴーヌの父・オイディプス王を演じた。いささか遅すぎる俳優人生のスタート。これには理由がある。
1961年、福岡市に生まれた。少年時代の思い出は、ボクシングの世界王者・具志堅用高さんだ。
「具志堅さんが世界チャンピオンになったのは、僕が中学3年の時。あの美しい勇姿に心が躍り、ボクシングをやろうと決めたのです」
立教大学法学部入学の日に、体育会ボクシング部に入部。ボクシングにすべてを捧げた4年間であった。卒業後は山一證券に入社。30歳でイギリス・ロンドン勤務となり、その後の7年間を海外で過ごす。が、時まさにバブル崩壊期。日本経済は先の見えない真っ暗なトンネルに突入していく。
山一證券が破綻した1997年には香港に駐在していたが、程なくして米系の投資銀行モルガン・スタンレーに入社。仕事自体は魅力的だったが、実力至上主義の世界だ。プロ野球選手と同様の年俸制で、成績が出なければ即解雇。そんなプレッシャーの中、ストレス発散のひとつが観劇であった。そこで気づいたことがある。
「顧客に営業するためのプレゼン(テーション)は、演劇と同じじゃないか。僕が舞台俳優で、顧客が観客、演出は自分自身です」
以前から体力、気力、知力が残っている50歳での引退を決めていたが、49歳3か月でその時が来た。金融の世界に別れを告げ、俳優人生がスタートしたのだった。
玄米フレーク入りヨーグルト
朝食を摂るのも作るのも、俳優になってからだ。勤め人の頃は1分でも長く寝ていたかった。けれど、もともと料理は嫌いではない。
「中学生の頃、テレビで『前略おふくろ様』の萩原健一さんを観て、板前に憧れていた時期もありました。今、作るのは主に酒肴。“おふくろの味”系が多いですね」
昨年の自粛期間中には糠漬けにも挑戦。糠漬けは奥が深くて、まだ味が決まらない。生来の凝り性ゆえ、試行錯誤の日々が続く。
朝食には玄米フレーク入りのヨーグルトが定番だ。時には、これに果物が加わることもある。健康の秘訣は、このひと皿である。
新しい映像媒体にも進出。俳優という第二の人生は、世界が舞台だ
俳優人生は、芸能プロダクションを探すことから始まった。
「まず、つまずいたのが年齢です。どこでも求められているのは18歳から30歳くらいまでの人ばかり。そこで年齢不問、シニアに特化したプロダクションを探し、49歳の夏から演技のイロハを教わりました。その後もほぼ毎日稽古に励み、そうして1年後には、『アンチゴーヌ』で初舞台(前出)を踏むことができました」
さらに、他の養成所にも2年ほど通い、演技の勉強を重ねた。これまでは主に舞台を中心に活動してきたが、今は映像の世界にも関心がある。
「昨年の新型コロナ禍の自粛期間中、動画配信サービスなどを通じ、世界中でさまざまな国の映画やドラマを楽しむ人が増えました。言語や配給の垣根が低くなり、俳優の仕事もグローバル化が進みつつあります」
俳優という道を選んで、まだ10年。海外生活で培った経験や語学力を生かし、海外のプロデューサーの目にとまる存在になれれば嬉しい。第二の人生も、世界が舞台である。
※この記事は『サライ』本誌2021年5月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。 ( 取材・文/出井邦子 撮影/馬場 隆 )