取材・文/長嶺超輝
あまり知られていないが、裁判官には、契約や相続などのトラブルを裁く「民事裁判官」と、犯罪を専門に裁く「刑事裁判官」で分かれている。片方がもう片方へ転身することはほとんど起きず、刑事裁判官は弁護士に転身するか65歳の定年を迎えるまで、ひたすら世の中の犯罪を裁き続ける。
では、刑事裁判官は、何の専門家なのだろうか。日本の裁判所は「できるだけ裁判を滞らせず、効率よく判決を出せる」人材を出世ルートに乗せる。判決を片付けた数は評価されるが、判決を出したその相手が、再び犯罪に手を染めないよう働きかけたかどうかは、人事評価で一切考慮されない。
その一方、「人を裁く人」としての重責を胸に秘め、目の前の被告人にとって大切なことを改めて気づかせ、科された刑罰を納得させ、再犯を防ぐためのきっかけを作ることで、法廷から世の中の平和を守ろうとしている裁判官がいる。
刑事訴訟規則221条は「裁判長は、判決の宣告をした後、被告人に対し、その将来について適当な訓戒をすることができる」と定める。この訓戒こそが、新聞やテレビなどでしばしば報じられている、いわゆる「説諭」である。
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慌ただしい事故直後
警察署は、過失運転致死傷罪(自動車運転死傷行為処罰法違反)の容疑で、軽自動車を運転していた女性と、普通自動車を運転していた女性を現行犯逮捕した。
歩道に乗り上げて、園児たちの列を一度になぎ倒していったのは軽自動車だった。
しかし、交差点でその軽自動車の脇にほぼブレーキをかけないまま追突し、事故の直接の原因をつくったのは普通自動車の運転手である。
不思議なのは、どちらのドライバーも警察の取り調べに対し、「信号機は青だったので交差点ヘ進んだ」と供述していた。
ただ、軽自動車を運転していた女性は間もなく釈放され、一方で、普通自動車を運転していた女性が、処罰を求めて裁判所に起訴された。
軽自動車に搭載されていたドライブレコーダーの映像を解析した結果から、普通自動車のドライバーが、前方をよく見ないままに交差点へ進入している様子が記録されるなど、その運転に重大な過失がある可能性が疑われたからである。その直後、軽自動車のボディ脇に勢いよく追突している。
遺族たちの怒りと失望
裁判が始まった。
傍聴席は、死傷した園児の保護者・遺族、さらにその支援者たちで埋め尽くされている。
被告人となった女性ドライバーは、2人の看守に挟まれるかたちで、弁護人席のそばにある長椅子に腰掛け、検察官が読み上げる冒頭陳述を神妙な面持ちで聞いている。
2台の自動車がそれぞれ交差点に近づいてきている様子、園児たちが歩道上で信号待ちをしている様子、追突時の状況や、事故後の顛末などが、淡々と語られていく。
「本当に申し訳ありません。自分勝手な運転をしていました」
「遺族の皆さんは、私に対する怒りや、深い悲しみがあると思います」
被告人質問の手続きで、女性ドライバーは涙ながらに答える。
その中には、自分自身の立場を必死に守ろうとする弁解も混じっていた。
「事故のときのことは、覚えていません。考えごとをしながら運転していたかどうかも覚えていません」
「たしかに、私の責任は重いと思います。でも、100%悪いと言われたら、納得いきません」
「もしあのとき、軽自動車のスピードがもっと遅かったら、こうならなかったはずです。不運が不運を呼んだといいますか……」
こういった、まだ自分自身の置かれた現実を受け入れていない……と取られかねない発言が、遺族たちからの怒りや失望を買ってしまった。
【被害者参加で吐露された本音。次ページに続きます】