文/福田美智子(海外書き人クラブ/フィリピン在住ライター)

スペインによる333年の植民地支配の歴史をもち、アジアで唯一、カトリック教徒がマジョリティを占めるフィリピン。建築物としても貴重な教会が全国に多数存在し、教会巡りも楽しめる。いずれも観光名所でありながら、人々の信仰の拠りどころとして生活感を感じられるのも魅力だ。老若男女が祈りを捧げたりイエス像を磨いたりしているさまを見ると、現地の空気が静かに伝わってくる。

教会内で聖人像やイエス像を撫でながら願をかける住民(カビテ州サンロケ教区教会)。全国でこうした光景を目にすることができる

かつて首都の中心部だったマニラ市から10キロほど南の首都圏ラスピニャス市にあるセント・ジョセフ教区教会は、そうした教会のなかでも特別である。なぜなら、この教会には有名なパイプオルガン−−しかも竹製の−−があるからだ。

マニラ名物の渋滞のなか、路線バスやタクシーで向かうと、フィリピンの下町らしい活気ある通りにそびえる重厚な教会が見えてくる。このセント・ジョセフ教区教会は1797年から1819年の間に建設されたとされ、建築様式は火山と地震の国フィリピン独特の「耐震性のあるバロック様式」だ。

教会の外観。耐震性を高めるために壁が厚くされている。壁を補強する扶壁(ふへき)と呼ばれる構造物がついている教会もある

この教会に、フィリピンの国宝で世界最古とみられる「バンブーオルガン」が設置されている。使用されている1031本のパイプのうち、902本が竹製なのだという。ほの暗い聖堂内に入っても金属のパイプのきらめきは見当たらず、目を凝らすと、日本の古民家の柱のような色と質感のパイプが見えてくる。丁寧に削られた節の跡によって竹であることがわかる。

オルガンばかりでなく、建物の各所にも竹があしらわれている。天井には竹が全面にはめ込まれ、これが不思議と干しレンガの壁と調和している。

聖堂内からバンブーオルガンを見上げる

この竹製オルガンは、スペイン人宣教師ディエゴ・セラによって、1816年から1824年までの8年をかけて建造された。科学や建築、音楽の才能があったセラ神父は、教会の建設者としても名を残している。竹が使われた理由は定かではないものの、フィリピンで潤沢に採れていたことから、実用性と審美性を兼ね備えた素材として選ばれたと考えられている。とはいえ、フィリピン人オルガン職人のシャルウィン・タグレ氏によると、竹をオルガンのパイプに加工するのは大変難しく、調律に至っては極めて困難なのだという。

今回取材に応じてくださった国際バンブーオルガンフェスティバルの実行委員長、レオ・レニエール氏は、秀でたオルガン職人であったディエゴ神父には、竹製オルガンが技術的に建造可能かどうかを実験したかった気持ちもあったのではと推測する。

オルガン内部の竹パイプ。手作業の痕跡が見てとれる

試行錯誤を経てでき上がったこのオルガンはしかし、長い困難の時代を迎えることになる。1880年代に台風と地震によって教会の屋根が被害を受けてバンブーオルガンは剥き出しになり、演奏不可能に。その後、教会関係者、政府、市民らが奔走したが、完全な修繕には至らなかった。

事態が動き始めたのは20世紀も後半に入ってからだった。1960年には、当時の西ドイツ大使が修理費用の寄付を申し出たが、ドイツへのオルガンの移送にリスクがあるとして計画は棚上げ。62年には歴史保存学会が修理費用を寄付したものの、全面的な補修には足らなかった。

転機は1970年代に訪れた。専門家らはオルガンの全面的な修復が必須として、ドイツ・ボンのパイプオルガン工房クライス・オーゲルボーにその仕事が委ねられることとなった。同工房のハンス・ゲルト・クライスは72年にフィリピンを訪れ、オルガンの状態を確認。翌年、オルガンは解体され、ほとんどのパーツははるばるドイツの工房に送られた。乾燥による竹の収縮を防ぐため、工房内にフィリピンの気温と湿度を再現した特別な部屋まで造ったという。この修復には、実は日本も関わっている。竹製パイプの一部は日本に送られ、クライスの工房で6年の経験を積んだヤマハのオルガン職人津田桁雄(ゆきお)氏らが修復作業に当たったという。そして1975年、ついにオルガンはふるさとの教会に戻ってきたのである。

手前の2列の竹パイプは、修復時に日本でつくられた

ここでヤマハが修復に関わったのは、同社にもバンブーオルガン建造の経験があったからだ。1966年に和楽器の専門家の協力を得て銀座のソニービルにパイプの約半数を竹製にしたオルガンを建造、1970年には大阪万博のキリスト教館にクライスの工房と共同でバンブーオルガンを建造(現在は武蔵野音楽大学に設置)している。

ちなみにアジアの他の国でもバンブーオルガンは建造されている。中国では、上海で1856〜57年にフランス人神父が建造したが文化大革命時に消失。新しいものでは、前述のフィリピン人オルガン職人タグレ氏が2015年に韓国で建造したものや、フィリピン国内で建造中のものもある。

実際の演奏のようす

さて、世紀と国境を超えた多くの人々の尽力で蘇ったオルガンの音色はどんなものだろうか。教会内にはバンブーオルガンの資料館が併設されており、ふつうのパイプオルガンとバンブーオルガンの音色を聴き比べることもできる。竹のパイプを通した音は、ていねいにやすりをかけて滑らかにしたような、とても柔らかく繊細な音色だ。ドイツから戻ってきたオルガンの音が100年近くぶりに聖堂に響いた時の、人々の喜びはいかばかりだっただろう。

このオルガンの魅力を存分に味わうには、毎年2月の第三木曜日から開催される「国際バンブーオルガンフェスティバル」を聴きに出かけるのが一番だ。オルガンの維持・保存などを担うバンブーオルガン基金によって国内外からオルガンの演奏家が招かれ、約一週間、様々なプログラムを楽しめる。

多くの聴衆が心待ちにする国際バンブーオルガンフェスティバル

所在地: St. Joseph Parish Church, 1742 Quirino Ave., Las Piñas City, Metro Manila
バンブーオルガン基金(Bamboo Organ Foundation Inc.)ウェブサイト: http://bambooorgan.org
ラスピニャス市ウェブサイト・バンブーオルガンのページ:https://laspinascity.gov.ph/lifestyle/18/bamboo-organ
写真(2〜7枚目)/バンブーオルガン基金(Bamboo Organ Foundation Inc.)提供

文/福田美智子(フィリピン在住ライター):マニラ首都圏の下町に暮らしながら、メディアコーディネートや記事の執筆などを行う。フィリピン在住歴約6年。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。

 

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