文/福田美智子(海外書き人クラブ/フィリピン在住ライター)

私たちが暮らすアジアでは、実に様々な格闘技を見ることができる。筆者が住むフィリピンではボクシングが有名で、マニー・パッキャオなどのレジェンド級ボクサーを思い浮かべる人が多いだろう。しかし、フィリピンでは伝統的な格闘技も健在だ。

なかでも代表的なものが「アーニス」である。空手などに比べると知名度は高くないが、実はあのブルース・リーも長年修練し、アクション映画の金字塔『燃えよドラゴン』でも2本の棒を使ったキレのある技を披露している。また、マット・デイモンも映画「ジェイソン・ボーン」シリーズに取り入れている。

ナイフと棒を用いたアーニスの対戦のようす。動画で見るとかなりのスピードで攻撃と防御をしている

アーニスは競技として確立しており、フィリピン以外にも米国、カナダ、ドイツなどで競技人口が多く、競技団体や段位もある。種目としては、ラタンなどの棒「バストン」、マチェーテのような大きな刀やダガーナイフを使うもの、素手のものがある。型を競う種目もあるが、空手などとは雰囲気がまるで違う。一昨年フィリピンで開催された東南アジア競技大会(SEA GAMES)では、各国の選手が民族衣装をまとい、音楽に合わせてアクロバティックな演技を見せていた。筆者はその華やかさからフィギュアスケートを思い浮かべたほどだ。現在主流となっているこうした形式はモダン・アーニスと呼ばれ、アロヨ政権下の2009年に国技として制定された。これによりアーニスは学校教育にも導入されるようになった。

「バストン」と呼ばれるアーニスの武器。ラタン製が多く66〜76センチほど

動画投稿サイトではアーニスの訓練や試合の動画が多数あり、その動きの美しさに目を奪われる。実践的な護身術としても有用性は高く、フィリピン国内外の警察や軍隊でも採用されている。2本の棒を使う型の練習はアーニスの基本だが、この棒は傘やペン、雑誌を丸めたものなど様々な日常のモノで代用できる。またナイフなどの武器を持った相手にどう立ち向かうかも学ぶので、現実社会に応用がしやすい格闘技だと言える。

そのためか、一般市民にも親しまれている。マニラ首都圏マカティ市の道場「アーニス・トレーニング・グラウンズ・マカティ」のノエル・サラザール氏に聞くと、「学校の体育でアーニスを習ったという子ども、身を守る方法を習いたい方、フィットネス目的という方、ナイフの使い方を覚えたいという女性もいます」とのこと。

台所用ナイフを使った稽古(安全のため刃はなまっている)。日常にあるものを使うのがアーニスの特徴でもある。

アーニスの歴史は、フィリピンの歴史を反映してか複雑である。そもそも名前が3つもあるのだ。「アーニス(Arnis)」のほかに、「エスクリマ(Eskrima/Escrima)」「カリ(Kali)」とも呼ばれている。

これらの中でカリが最も古い語だ。フィリピンにスペインの支配が及ぶずっと以前から、各地で武術が実践されており、カリはそれを示す語だった。フィリピン中部から南部にかけて話されるセブアノ語で手を意味するカモット(Kamot)と、動きを意味するリホック(Lihok)という言葉から一音節ずつとったものとされる。また、カリス(Kalis)と呼ばれていた75センチのほどの木製の刀を由来とする向きもある。

エスクリマは、スペイン語でフェンシングを意味するエスグリマ(Esgrima)が起源である。フィリピン各地で実践されていた武術に、宗主国となったスペインのフェンシングの要素が加えられて現在の形になったという歴史によるものだ。この語は、この武術の本場とも言われるセブ地方を含むビサヤ地方(中部フィリピン)でより多く使われる。

アーニスの由来は、「手の鎧」という意味のアルネス・デ・マノ(Arnes de mano)というスペイン語で、武器を使って身を守るというこの武術の特徴を表している。これは主に首都マニラのあるルソン島で使われる。テクニック上の細かい違いはあるものの、この3つは概ね同じ格闘技として扱われている。

長い刀とダガーナイフを両方使う「エスパーダ・イ・ダガ」というスタイルも。相手を一目見ただけで戦意喪失しそうだ

スペインがフィリピンを植民地支配しはじめた当初、この武術は高く評価されていた。しかし、各地で植民地支配に対する反乱が起きたため、スペイン側は、住民が刃物で武装したり、剣術を練習したりすることを危険視するようになり、16世後半には禁止。アーニスに棒を使う方法があるのは、刃物を取り上げられた歴史のためだ。

スペインによるフィリピン武術への抑圧の歴史は、フィリピン人やフィリピン文化への抑圧と軌を一にする。1565年から1898年の333年の長きにわたる植民地支配の間、人々は土地の収奪や住民への重労働の強制、「バイバイン(Baybayin)」と呼ばれるフィリピン固有の文字の使用禁止や焚書など、様々な形で圧政に苦しんだ。それでも人々は、カリの動きを伝統舞踊に取り込むなどしてフィリピン武術の火を絶やさずに守り続けた。

今では体育の授業のほか、防犯・護身など教育の場でも活用されるアーニス

こうした歴史的背景によるものだろう、前出のサラザール氏は、アーニスの特徴をこう語る。「フィリピン人はもちろんとても親切な人々ですが、私たちの文化には“食うか食われるかの世界”という面もあります。ことサバイバルとなると私たちは戦いをひるむことはありません。その点でアーニスは非常にフィリピン的な武術です。アーニスは、公平さと名誉を重んじるというより、“敵ではなく自分こそが生き抜く”ための武道です」

「虚飾のない格闘技や体のメカニズムをうまく使う方法を学びたい、従来の方法以外で敵を倒したい、棒やナイフ、刀を操れるようになりたいという人はぜひアーニスを習ってみてください」とサラザールさん。「アーニス・トレーニング・グラウンズ・マカティ」をはじめ、オンラインクラスを開講している道場は多い。コロナ禍で体を動かしながら新しいことを学びたい人はアーニスに挑戦するのも一興だろう。

シビアな格闘技だが、稽古は初心者にもやさしく楽しめるようだ

写真/アーニス・トレーニング・グラウンズ・マカティ(Arnis Training Grounds Makati)提供

文/福田美智子(フィリピン在住ライター):マニラ首都圏の下町に暮らしながら、メディアコーディネートや記事の執筆などを行う。フィリピン在住歴約6年。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。

 

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