文・写真/パーソン珠美(海外書き人クラブ/スウェーデン在住ライター)
ブハラは、古代のシルクロードのルート上にある、2,000年を超える歴史を持つウズベキスタンの都市で、かつてそのバザールには東西の様々な物品や人がキャラバンに運ばれて集まり、文化と経済の中心地となっていたところ。遊牧生活を基盤としていた中央アジアの周辺諸国とは異なり、ウズベキスタンには早くから都市を築き暮らすスタイルが定着していた。
ブハラの街は、16世紀シャイバーニー朝時代の構造を今に至るまで保ち、その中には、中央アジア一帯で破壊をつくしたチンギス・ハーンが残した希少な建築物である「カラーンミナレット」をはじめ、タイルのモザイクで彩られダイナミックさと繊細さを兼ね備えた美しいモスクや神学校などのイスラム建築や、丸屋根が特徴のバザールの建物、日干しレンガの昔ながらの住宅など、長い歴史を感じさせる建造物が数多く現存しており、旅情を猛烈にかき立てる。
情熱が蘇らせた伝統
多様な国からの産物が集積しただけでなく、ブハラでも、各地に流通させるべく、古代よりさまざまな工芸品が生産されていた。それが、ロシア革命以降およそ70年に及んだソ連時代に、共産国家には不要であるとされた工芸品は生産を止められ、伝統を途絶えさせることを余儀なくされる。
しかし、ソ連が崩壊し、1991年、ウズベキスタンが国として独立したのをきっかけに、情熱を持った人たちが、過去の技術を持っている人や、同じ技巧を持つ外国の技術者などを見つけ出して手法を学ぶなどし、ブハラを工芸の産地として再び花咲さかすことに成功した。
ブハラの旧市街には、精密なアラベスクを打ち出した金属加工品や木工品、手織りシルクのイカット、シルク糸でザクロや小鳥などの刺繍をほどこしたタペストリーやバッグなどの伝統工芸品を売る店が軒を連ねるなかに、それらを作る工房が混じっており、この地で、シルクロードの時代から、工芸を生業とする伝統が現在にまで続いていることを実感させる。
ブハラで作られる多様で豊富な工芸品は、タシケントやサマルカンドなどの他の都市では探すのが難しいものが多い。「街そのものが博物館」と言われるその街並みだけでなく、現地の人がその手で作り出す品々もまた、ここを訪れる価値のある場所としている。
エキゾチックなセッティングで美食に舌鼓
ブハラには、街並みに合わせるように、ウズベキスタンの伝統を感じさせる趣向を凝らした内装のレストランがいくつもある。観光が重要な産業のひとつとなっており、特に旧市街では客を獲得するべくしのぎを削っているためか、料理のクオリティも高い店が多く、食事もブハラ滞在の楽しみのひとつである。
飲食店は、大きな鍋でニンジンや玉ねぎなどのたっぷりの野菜と肉などを一緒に炊く米料理の「プロフ」、大ぶりの餃子かラビオリのような、肉入りの具を小麦粉で作った皮で包んだ「マンティ」、トマトベースの汁麺「ラグマン」などの中央アジアの伝統料理を出す店が多い。外国人旅行者が多い土地柄、西洋風のメニューを出す店も少なくなく、特にウズベキスタンの新鮮で良質な肉を使った料理は試してみる価値ありだ。贅沢な食事をしても日本と比べて値段が張らないのも大いに魅力。また、イスラム圏ながらほとんどの店でアルコールの注文ができる。
ウズベキスタンの主要都市は高速鉄道で結ばれており、首都タシケントからブハラへは3時間20分、サマルカンドからは1時間半ほど。モスクワとも飛行機の直行便で結ばれており、訪れやすい。観光資源に恵まれた古都ながら、現地の人は外国人に対してすれておらずフレンドリーで親切、さらに物価は格別に安い。次の海外旅行の目的地候補にブハラを加えない手はないだろう。
Restaurant Ayvan
http://lyabihouse.com/en/ayvan
写真・文/ パーソン珠美
日英通訳、ライター。さまざまな業界での通訳や取材、5ヵ国の在住経験と45ヵ国超の海外渡航歴、国際結婚、子育てなどから得た豊富な経験をもとに執筆。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。