文・写真/杉﨑行恭

東海道線の下り電車は藤沢から相模湾沿岸に出る。そこから辻堂、茅ヶ崎を経て相模川を渡って平塚をすぎると、それまで関東平野を走ってきた車窓に穏やかな稜線の大磯丘陵が見えてくる。このあたりから「西湘」と呼ばれている気候温暖なエリアだ。かつて大磯には伊藤博文や吉田茂の別荘があり、次の二宮には犬養毅も避寒地として別宅を構えていた。その二宮駅の近くにある吾妻山は、新春から菜の花の絶景が楽しめる湘南の絶景ポイントになっている。

相模湾沿いを走る東海道線、遠くに江ノ島、国道は箱根駅伝のコース

相模湾沿いを走る東海道線、遠くに江ノ島、国道は箱根駅伝のコース

さて二宮駅は、名駅舎のほまれ高い大磯駅とは異なり、ちょっと残念な橋上駅舎となっている。これは国鉄時代の昭和57年(1982)に機能優先に改築されたもの、それでもホームに流れる発車メロディは「朧月夜」となっている。これは吾妻山の早咲きの菜の花に合わせたものだ。ちなみに吾妻山は二宮駅の北側にそびえる(というほどでもないが)標高136mの山のこと。その比較的平坦な山頂に6万株もの菜の花が植えられ、まだ冬枯れの1月上旬から早咲きの菜の花が満々と咲いている。

二宮駅、吾妻山はこの北口が近い

二宮駅、吾妻山はこの北口が近い

ちなみに「吾妻山」の名は古事記に登場する古代の英雄ヤマトタケル(日本武尊)が東国遠征のおり、妃のオトタチバナヒメ(弟橘姫)が海を鎮めるために投身し、軍勢を渡海させたとする神話からとられたという。その妃の櫛が二宮の渚に流れ着き、ヤマトタケルはこの丘の頂きに櫛を埋め、足柄峠でオトタチバナヒメを偲んで「吾妻はや」と嘆き悲しんだ。この故事からやがて関東などの東国をアズマ(吾妻)と呼ぶようになったという。吾妻山の山麓にはオトタチバナヒメを祭る吾妻神社があり、ところどころに水仙や寒椿が咲く険しい急坂を登ると、20分ほどで山頂部の公園に出る。

登り始めが急坂な吾妻山、あちこちに水仙が咲く

登り始めが急坂な吾妻山、あちこちに水仙が咲く

でも山上にあったのはうさぎ園とローラーすべり台、おりの中では黒うさぎが飛び跳ねている。その園地からさらに坂のぼると一気に展望がひらけた、いよいよ山頂の芝生広場だ。視界は東西南北にひろがり大山から丹沢、そして箱根から伊豆半島まで山並みが続き、その奥に真っ白に冬化粧した富士山が凛々しく屹立する。そして足元には黄色い絨毯のように菜の花畑が広がっていた。まさにここは湘南の絶景だ。

ようやく出た山頂展望台、山並みに富士山も

ようやく出た山頂展望台、山並みに富士山も

公園の係員に聞くと「9月になってからすべて新しい苗に植え替える」という早咲きの菜の花は、あふれる陽光を浴びてすくすくと育ち、1月の中旬から2月にかけて見事な花畑を作り出す。吾妻山は相模湾に近いため、葉の花の先にきらめく海という、ありそうでなかなかない風景も堪能できる。そして「菜の花と富士山」という絵がどんなヘボカメラマンでも撮影できる。また山頂は西の小田原方向に開けているので東海道線を走る列車を菜の花越しに超ロングで撮影できる。

遠くに見える真鶴半島と、その先に伊豆半島も

遠くに見える真鶴半島と、その先に伊豆半島も

 

吾妻山の定番カット、菜の花と富士山

吾妻山の定番カット、菜の花と富士山

鉄道といえば明治39年(1906)から昭和10年(1935)まで、この二宮と丹沢山麓の秦野を湘南軌道という軽便鉄道が結んでいた。タバコや落花生の産地だった秦野から、東海道線が通じていた二宮駅まで軽便鉄道で産物を運んでいたのだ。最初は馬車鉄道で、のちに蒸気機関車が導入されたこの鉄道によって吾妻村(二宮町の前身)は産物の集積地として発展した。このため今も駅周辺に落花生の専門店があり、さや付きの素朴な落花生が販売されている。二宮駅北口から発着する小田急線秦野駅南口行のバスは、その湘南軌道跡の田舎道をたどるように走る。吾妻山で菜の花を見たあと、早春の里山をバスで巡るのも楽しいだろう。

湘南軌道の各駅跡には、かつてをしのぶ案内板も設置されている

湘南軌道の各駅跡には、かつてをしのぶ案内板も設置されている

吾妻山公園
開園時間8時30分〜17時
年中無休・入園無料
JR東海道線二宮駅北口から公園入口(二宮町役場の前)まで徒歩5分、そこから山頂展望台まで約20分
2020年1月11日〜2月17日まで「吾妻山菜の花ウオッチング」も開催

吾妻山公園役場口が二宮駅に近い、山頂まで約700m

吾妻山公園役場口が二宮駅に近い、山頂まで約700m

文・写真/杉﨑行恭
乗り物ジャンルのフォトライターとして時刻表や旅行雑誌を中心に活動。『百駅停車』(新潮社)『絶滅危惧駅舎』(二見書房)『異形のステーション』(交通新聞社)など駅関連の著作多数。

 

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