文・写真/東リカ(海外書き人クラブ/ポルトガル在住ライター)

誰もが日本史の授業で習ったはずの「天正遣欧少年使節」。

今から440年前、生存率50%といわれた欧州までの船旅を乗り越えたこの少年使節団の欧州最初の滞在先となったのが、ポルトガル・リスボンにあるサン・ロケ教会だ。

この教会は、街に壊滅的な被害を与えたリスボン大地震にも耐え、現在もほぼ当時の姿を保っている。

そんな日本とも縁がある教会の知られざる不思議をリスボン在住の筆者が紹介する。

天正遣欧少年使節団とサン・ロケ教会

リスボンのバイロ・アルト地区にあるサン・ロケ教会。

「天正遣欧少年使節」は、1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名である大友宗麟・大村純忠・有馬晴信が派遣した日本初のヨーロッパ訪問団。この命懸けの航海の中心となったのは、その名が示すように、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノという13〜14歳の4名の少年である。

長崎港を出発した彼らが、マカオ、マレーシア、インドなどを通り、南アフリカ喜望峰まわりで欧州最初の寄港地、ポルトガルのリスボンに到着したのは1584年8月、2年半後のこと。ようやく欧州にたどり着いた彼らは、当時イエズス会が所有していたサン・ロケ教会で1か月ほど過ごした。

サン・ロケ教会は、いつも観光客で賑わっているリスボンの中心地「バイロ・アルト」にある。あまり知られていないが、この地域の正式名称が「バイロ・アルト・デ・サン・ロケ(「サン・ロケの高い地区」の意味)」なのは、サン・ロケ教会がこの地区を形成するきっかけになったからである。

坂の上に見えるサン・ロケ教会。

日本人にとって馴染みのあるフランシスコ・ザビエルら、イエズス会の初期メンバーは、1540年にポルトガルに到着。1553年に城壁外のオリーブ畑にあった小さなサン・ロケ礼拝堂を受け取ると、翌日には移り住み、1568年ごろには礼拝堂の上に単一の身廊をもつ教会の建設を開始した。

1573年には教会が完成していないにも関わらず、信仰活動が始まった。同時に現在博物館となっている司祭用の教授院も建設された。

この教会は、リスボンの大半が崩壊した1755年のリスボン大地震にも耐え、その建物のほとんどが現存している。ただしイエズス会は1758年にポルトガルから追放され、1768年以降はポルトガルの信仰慈善団体「ミゼリコリダ協会」の所有となっている。

さっそく内部を見ていこう。

地震に耐えた天井と天井絵に隠された秘密

外から見るとシンプルな教会だが、一歩中に入ると1世紀もかけ、マニエリスム、バロック、ロココの各様式で飾り立てられたという内装はかなり豪華だ。

豪華なサン・ジョアン・バプティスタ礼拝堂。

中でもジョアン5世がローマで世界遺産「カゼルタ宮殿」を手掛けたルイージ・ヴァンヴィテッリと「トレビの泉」を設計したニコラ・サルヴィの2人を雇って、お金に糸目をつけず作らせたサン・ジョアン・バプティスタ礼拝堂は一見の価値がある。礼拝堂にはラピスラズリ、アメジスト、めのうを始め世界中の24種類もの美しい石が使われている。また絵画も、よく見ると繊細なモザイク画なのだから驚く。

曲線に見えるよう目の錯覚を利用して描かれた天井。

天井はドーム状に見えるが、実は目の錯覚を利用し、フランシスコ・ヴェネガスが1588年ごろ透視図法で平らな板に描いたものだ。ヨーロッパの教会では珍しい、この軽く平らな木造の天井が、地震による被害を最小限に抑えられた理由だと考えられている。

地震の後に、ポルトガルではポンバル様式と呼ばれる世界初の耐震構造をもつ建築が取り入れられるが、サン・ロケ教会の天井はその「元祖」だと言われているそうだ。

天井絵をよく見ると見下ろしている人の姿が。

そんな歴史ある天井をよく見ると、ドームの回廊から見下ろしている男性の姿がある。これは画家ヴェネガスが自身を紛れ込ませたと考えられている。

フランシスコ・ザビエルの軌跡

フランシスコ・ザビエルの伝記的絵画。

サン・ロケ教会には、プロト・バロック画家、アンドレ・ヘイノーゾが、フランシスコ・ザビエルの生涯を描いた油絵で埋め尽くされた部屋がある。

インドや日本などアジア諸国で布教を行った彼の生涯は、ヨーロッパの人々にとってエキゾチックな風景として描かれている。

日本を訪れたフランシスコ・ザビエルを描いた絵画。

これらの絵画は1619年に教会に飾られたのだが、面白いのは、これがザビエルが列聖される3年前だったということだ。列聖にはローマ教皇庁による聖人にふさわしいかの調査が行われるが、その最中というタイミングである。というのも、この伝記的絵画が列聖調査をスピードアップする「宣伝」になることも狙っていたからなんだとか。

主祭壇にまつわる不思議

サン・ロケ教会の主祭壇。

さて、最後に教会の中心となる主祭壇を見ていこう。ここにも興味深いことが2点ある。

まず1つ目は、中心となる絵画である。実はこの絵画は、イースターやクリスマスなどの節目に合わせて年に7回取り替えられる。つまり、訪れた時期が違えば、記念写真を見比べて「絵が違う!」なんてことも十分に起こりうるのだ。

もう1つは、この祭壇に日本の聖人が飾られていることだ。

正面に飾られた4人の聖人像は、イエズス会で著名なイグナチオ・デ・ロヨラ、フランシスコ・ザビエル、フランシスコ・デ・ボルハ、アロイジオ・ゴンザーガといずれもヨーロッパ人である。

ところが、その周りを飾るのは、パウロ三木、ディエゴ喜斎、五島のジョアン草庵という3人の日本の聖人なのだ。

日本人の聖人の姿が。

彼らは1597年に豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処され、後に「日本二十六聖人」として列聖した26人の内のイエズス会日本人修道士である。

天正遣欧少年使節の4人が欧州で大歓迎を受け、意気揚々と帰国したのは、日本で初めてキリスト教者の処刑が行われた7年前、1590年のことだ。

時の武将は、キリスト教徒を保護した織田信長から、「バテレン追放令」を出し禁教を進める豊臣秀吉へと変わっていた。8年半におよぶ長旅を終えて帰国した彼らは重用されるどころか、迫害される立場へと追い込まれていったのだ。

そんな数奇な運命に翻弄された少年たちが滞在した教会に、同じ時代を生き、殉教を選んだ日本の聖人の姿があるとは、なんだか感慨深い。

Igreja de São Roque
https://museusaoroque.scml.pt/en/home/
住所:Largo Trindade Coelho, 1200-470 Lisboa

文・写真/東リカ
ブラジル、アメリカを経てポルトガル在住のライター。著書に「好きなことして、いい顔で生きていく ~風変わりな街ポートランドで、自分らしさを貫く15の物語~ 」。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。

 

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