日本各地には多くの湧水がありますが、その中で、何故か名水と呼ばれる水があります。

ただ、美味しいというだけではなく、その水が、多くの恵みをもたらし、人々の命に深く関わり、生活を支えてきたからに他ならないからでしょう。それぞれの名水からは、神秘の香りと響きが感じられます。

名水の由来を知ることは、即ち歴史を紐解くことであり、地域の文化を理解すること。名水に触れ、名水を口にすれば、もしかすると、古の人々の想いに辿り着くことができるかもしれません。

歴史ある水を訪ね古都を歩きます。

水道水を、躊躇することなく、安心してがぶがぶ飲める国、日本。そのような国は、世界でも数えるほどしか無いそうです。そんな日本でも、今や日常的に“水”を購入する時代になっています。

公害などによる環境汚染が進むまでは、日本の自然水は比較的安全だったのでしょうか? 数十年前までは、水を購入するといった習慣は、あまり無かったように思います。

幼少期、先生や親からは「生水を飲まないように……」と注意されておりましたが、そんな事は気にも止めず、湧水や清水を飲んでいた記憶があります。

里山に湧き出す清廉な水
里山に湧き出す清廉な水

そんな時代は、遠き昔のことになってしまい、現在では日本の名水百選に選ばれている水であろうと、煮沸なくして飲むことはタブーとなっています。

その“自然水”には「硬水」と「軟水」があることは広く知られていることです。

「硬水」というのは、カルシウムやマグネシウムを比較的多く含んでいる天然水。それに対して、カルシウムやマグネシウムの含有量が少ない天然水は「軟水」と呼ばれます。WHO(世界保健機関)の基準によると、硬度が0~60mg/l 未満を「軟水」。60~120mg/l 未満を「中程度の軟水」。120~180mg/l 未満を「硬水」、180mg/l以上を「非常な硬水」と分類されています。

山岳地の自然水
山岳地の自然水

ちなみに、日本では一般的には、硬度0~100mg/lを軟水、101~300mg/lを中硬水、301mg/l以上を硬水と分けられているそうです。

よく「軟水」か「硬水」かによって、料理や飲み物の味が変わると言われます。茶道においても、お茶を点てる際に使用する“水”の選択は、かなり重要なことのようです。水質の善し悪しは当然のことながら、向き不向きがあるようでございます。“美味しい水”が、必ずしも茶の湯に向いているとは限らないとのこと。茶道に使用する水は、「硬水」よりも「軟水」の方が好まれるそうですが、由緒ある茶会では、おおよそ決まった水が使用されるとか。

名水と呼ばれる水を探し訪ね歩いておりますと、時の権力者、大名茶人が愛したというエピソードを持つ水に出逢うことがございます。

今回は、そのような茶の湯に深いゆかりのある名水をご紹介いたします。

大名茶人 松平治郷が愛した「茶の湯の水」
大名茶人 松平治郷が愛した「茶の湯の水」

武士と深いつながりのある茶の湯、武家茶道が広まった時代背景

現在のように、茶の湯を芸術の域にまで高めたのは、千利休の功績が大きいことは誰もが知ること。利休の茶の湯は、もとは堺の商人たちの教養として広まったものですが、天正元年(1573年)に信長に召し抱えられた頃より、武将たちへも深く浸透することになります。

織田信長は、巧みに茶道を人心掌握に活用し、茶道具を戦功の褒賞として与えていたことが記録に残されています。
そうしたことから、戦国大名の多くは争うように茶道を学び、高価な茶道具を蒐集したようです。

茶室と茶道具
茶室と茶道具

よく知られるのは「利休七哲(りきゅうしちてつ)」あるいは「利休十哲(りきゅうじってつ)」と呼ばれた千利休の高弟たちのこと。

その面々については諸説あるようですが、蒲生氏郷(がもううじさと)、高山右近(たかやまうこん)、細川忠興(ほそかわただおき)などは、名高き茶人として知られています。

こうした武将が茶の湯を嗜む流れは、江戸時代にも引き継がれます。歴代将軍家も、古田織部(ふるたおりべ)、小堀遠州(こぼりえんしゅう)、片桐石州(かたぎりせきしゅう)といった茶道の指南役を召し抱えたことにより、それぞれの流派が確立されました。

そうした武家茶道は、当時幕府が布いた参勤交代の制度によって全国へと広まり、茶道を身に付けることは武士の嗜みの一つとされるまでに武家社会に浸透していったと考えられます。

利休七哲の一人に数えられる蒲生氏郷像

今回紹介する「茶の湯の水」も、江戸時代の高名な茶人・松平治郷(まつだいらはるさと)と深いつながりのある水です。松平治郷(1751~1818年)は、江戸後期松江藩の7代目藩主。隠居後は、不昧(ふまい)と号したそうです。

歴史を紐解くと、藩主となった当時、松江藩の財政は破綻状態であったとか。藩主となると、直ちに藩政改革に乗り出し、積極的な農業政策を打ち出すと共に治水工事にも取り組みます。

木綿や朝鮮人参、楮(こうぞ)など、市場価値の高い特産品の栽培を奨励する一方で、過去の莫大な藩の借金を全て棒引きにしたり、藩札の使用を禁止するなど、厳しい政策を強行したという記録が残っています。

そうした藩政改革が功を奏し、藩の財政は持ち直すのですが……。

江戸後期松江藩の7代目藩主 松平治郷(不昧)

その潤った財政を元手に、高価な茶道具などを買い集めたとか。当時蒐集した高価な道具が目録帳(雲州蔵帳、雲州名物帳、雲州道具買入帳と称される)として残っているそうです。

目録には、品名、付属品、伝来、入手年次、入手先、値段などが、詳細に記載され、その点数540余りに及ぶとか。不昧公は、蒐集した名品を人々に鑑賞させ、職人たちにはその技法を学ばせて、新たな道具の創作の促進を図ったようです。また、茶室を造る匠(たくみ)や茶席に用いられる菓子職人の養成にも尽力したとされています。

茶道を通して、建築技術、美術工芸や食文化の発展をうながした功労者として、今でも松江の人々には「不昧公」と親しみを持って呼ばれています。

松江市内にある二百年以上の歴史をもつ和菓子店
松江市内にある二百年以上の歴史をもつ和菓子店

茶の湯文化がつくりあげた山陰の歴史都市・松江、今も生きる大名茶人の精神

京都、金沢と共に山陰の「古都」として知られる松江。その松江は、“お茶処”としても知られており、来客時のもてなしだけでなく、日常生活でも午前10時と午後3時の休憩にはお茶を点てる習慣があるそうです。茶の湯の流派も多数あり、毎年秋には「松江城大茶会」が開催され、各流派が参集して、独自のお点前を披露して賑わうとのこと。

こうした、お茶の文化が定着しているのも、やはり不昧公による功績というべきでしょうね。

2022年秋に開催された松江城大茶会のフライヤー
2022年秋に開催された松江城大茶会のフライヤー

その不昧公が、愛したと伝わる名水「茶の湯の水」を、彼の廟所でもある月照寺(げっしょうじ)に訪ねてみました。月照寺は、松江藩松平家の菩提寺で、約3万本の紫陽花(あじさい)が植えられていることから紫陽花寺とも呼ばれています。

境内には歴代藩主の廟所のほか、不昧公ゆかりの茶室「大円庵」や茶筌(ちゃせん)供養が行われる茶筌塚などが残っています。

不昧公の廟門と茶筌の供養塔
不昧公の廟門と茶筌の供養塔

島根の名水100選にも選ばれている不昧公の逸話の残る「茶の湯の水」は、お寺の入口右手に駒札が掲げられた場所にありました。持参したペットボトルに取水し、自宅へ持ち帰ることに。

月照寺の入り口傍にある不昧公ゆかりの「茶の湯の水」
月照寺の入り口傍にある不昧公ゆかりの「茶の湯の水」

お水をいただいた後、市内に残る不昧公ゆかりの茶室、菅田庵(かんでんあん:重要文化財)を訪ねてみました。
この菅田庵、寛政4年(1792、寛政2年という説もあり)、不昧公の指図で庭園の地割から建物の配置に至るまで全体計画が立てられ、向月亭(こうげつてい)や御風呂屋(おふろや)とともに建築された日本を代表する茶室・庭園。

明治維新後も、家老を務めた有澤家によって大切に保護され、ほぼ創建当初からの姿を今に伝えているといいます。一歩敷地へ足を踏み入れますと、不昧公の「茶の湯」思想の中に身を置いているかのような気持ちになってしまいました。

重要文化財 有澤山荘 菅田庵の正門
重要文化財 有澤山荘 菅田庵の正門

茶の湯を嗜まぬ私、その歴史や流派、作法や仕来りについて全くの無知。しかし、その昔に不昧公が茶の湯を楽しんだ、同じ空間で過ごした時間は、言葉や文字では表現できない深淵な趣を感じることができました。

やはり、日本人であるなら茶道、花道、書道、和歌詩歌など、日本の伝統文化の一つぐらいは修得しておくべきであったと、つくづく反省させられた取材でございました。

山陰の古都・松江を訪れた際には、是非、不昧公が残された「茶の湯文化」に触れてみてはいかがでしょう。

​菅田庵・向月亭の主室
​​菅田庵・向月亭の主室

所在地・アクセス

□ 茶の湯の水
住 所:島根県松江市外中原町179
鉄 道:JR山陰本線 松江駅より車で約10分
自動車:山陰自動車道 松江西ICから約10分

取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
ナレーション/小菅きらら
京都メディアライン:https://kyotomedialine.com Facebook

 

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