文/鈴木拓也
北海道の最北端から九州の最南端まで、総延長4500kmにおよぶ「中央分水嶺」。
分水嶺とは、降った雨が異なる方向に流れる境界を意味し、中央分水嶺とは、まさに雨水が川をつたって太平洋に向かうのか、日本海に向かうのかを決める山稜の境界線となる。
日本の白地図にマーカーで中央分水嶺を引いていくと、北海道、本州、九州のほぼ中央を縦貫し、まさに列島の背骨のような存在だと実感される。
さて、登山好きでもなければ、ふだん意識しない中央分水嶺の旅をコンセプトにした、珍しい書籍が先般刊行された。書名はずばり『日本列島の背骨 中央分水嶺を旅する』(世界文化社)。中央分水嶺沿いの山々を概説した本書は、久しく在宅がちであったわれわれを、山旅へといざなってくれる。
北海道を東西に分かつ大分水嶺
中央分水嶺は宗谷岬から始まる。といっても、そこにいきなり高い尾根があるわけでなく、まずは緩やかな宗谷丘陵を南下し、やや東へ進みながらピヤシリ山(987m)の頂に到達する。
さらに下って天塩岳(1558m)に至るが、ここは全国4位の長さを誇る天塩川の源頭。そして、少しずつ高度は上がっていき、日高支嶺との分岐点に行き当たる(支嶺とは、中央分水嶺から派生した分水嶺で日本に4本ある)。日高支嶺は、日高山脈の最高峰・最難の日本百名山・幌尻岳に隣接する戸蔦別岳(1959m)を擁し、ここは「岳人憧れの山域」なのだそうだ。
この日高山脈の難所に挑んだ吉田今日子さん(静内山岳会)の文章が載っている。一部を紹介しよう。
2005年、芽室岳からピパロイ岳を縦走した。雪は朝方はしっかり締まっているが、気温が上がってくるといわゆる「腐った」状態になり、重装備のためワカンを置いていても足がズボズボと埋まる。ワカンが這松に引っかかると足を抜くことが出来ず、悪戦苦闘する。一歩ごとではなく、数歩歩いて突然埋まることもあり、そんな時は予測していなかったため前のめりに転倒する。(本書より)
吉田さんは、ヒグマにも遭遇するなどかなりハードな登山を経験しているが、こうした難所ばかりではない。北海道を出て東北地方に入ると、中央分水嶺は十和田湖外輪山の稜線を回り込む。そこは標高にして400mにすぎない。ここから流れ出すのは、紅葉の名所として知られる奥入瀬渓流。渓流は奥入瀬川となり、太平洋へ注ぐ。
難所も行楽地もある関東・上信越の中央分水嶺
津軽海峡を渡った中央分水嶺は、東北各県の県境を沿うように南下し、樹氷で有名な蔵王山(1841m)を経て、安達太良山(あだたらやま、1700m)へ。高村光太郎の詩集『智恵子抄』で、「智恵子のほんとの空」の「空」とは、この山の上の青空をいう。その青空の下には、火山活動で生まれた荒々しい大地の絶景が広がる。ロープウェイ利用なら徒歩1時間半ほどで山頂に着くので、中央分水嶺の中では比較的行きやすい場所ではある。
関東・上信越に入ると、中央分水嶺は2000m前後の山々が続く。遭難者が多い「魔の山」の谷川岳(1977m)もここに含まれる。一方で、著者が推す気軽に行ける「ベストポイント」も、このエリアに位置する。それは、志賀草津高原ルートの頂点にあたる横手山と渋峠だ。
長野県側からは、横手山山頂直下ののぞきからの中央分水嶺西側大展望がすばらしい。すっくと聳え立つ笠ヶ岳の彼方には妙高・戸隠山などの北信五岳と善光寺平、はるかには北アルプスが望める。
一方、群馬県側の渋峠からは眼下に広がる大森林と北関東、南方には茶色い山肌に噴煙をたなびかせる草津白根山と本白根山、その先には浅間山が連なり、晴天なら富士山まで見渡せることだろう。(本書より)
渋峠は国道292号線が走っており、標高は2172m。国道の日本最高地点であり、乗用車やバスでアクセスできる高峰としてチェックしておきたい。
その先には、乗鞍岳(3026m)が待ち構えている。中央分水嶺のなかで3000mを超える唯一の山であるが、畳平(約2700m)まではシャトルバスが走っている。花畑など楽しめるポイントが多く、こちらもおすすめの場所とされている。
自然の宝庫に大火山と見どころ豊富な中国・九州の中央分水嶺
近畿を越え、中国地方のとば口に入ると、中央分水嶺の山容はゆるやかになる。
最初に出合うのは氷ノ山(ひょうのせん)。兵庫県の最高峰であるが、標高は1510mにすぎない。この山は、「西日本トップクラスの自然の宝庫」で、亜寒帯性湿生植物やイヌワシといった、この地方では珍しい動植物が生息する。
中央分水嶺は、氷ノ山から西へ進み、伯耆富士の異名を持つ大山(だいせん、1729m)を北に見て、蒜山(ひるぜん、1202m)、道後山(1271m)などの山々を縦貫しながら、関門海峡へと至る。
ところで、中国地方の中央分水嶺とほぼ平行に四国支嶺が走っている。この支嶺は、岐阜・福井・滋賀県の県境となる三国山から始まり、和歌山県の和泉葛城山(858m)を突っ切って、四国の石鎚山脈を横切る。これは、四国最西端の佐田岬へと続き、豊予海峡を抜けて阿蘇山(1408m)で終わる。
阿蘇山は、根子岳・高岳・中岳などの総称で阿蘇五岳とも呼ばれ、世界最大級のカルデラ(大陥没地)の一帯にある。これは、九州のほぼ中央に位置し、関門海峡から南下してきた中央分水嶺の1つのハイライトとなる。
山麓にはぐるりと観光道路が一周し、登山口も複数ある。高岳の北面には約5万株とも言われるミヤマキリシマの群生地・仙酔(せんすい)峡が華やかだ。今なお、噴煙を上げる中岳火口などと、高原の牧場が共存する別天地でもあるのだ。(本書より)
阿蘇山を過ぎると、中央分水嶺は国見岳(1739m)、霧島山(1700m)を通り、九州最南端の佐多岬にたどり着く。4つの支嶺も合わせると6000kmに及ぶ長大な分水嶺は、ここが終点になる。
ちなみに、日本アルプスは(乗鞍岳を除き)中央分水嶺ではなく、本書が取り扱う範囲からは外れるのだが、「日本の屋根」ということで、別章にて解説されている。さらに、中央分水嶺と関連する主要河川および高山に生きる動植物など、豊富な写真付きで概要が記されている。ちょっと異なる視点から山登りを楽しみたい方には、おすすめの1冊といえよう。
【今日の教養を高める1冊】
『日本列島の背骨 中央分水嶺を旅する』
文/鈴木拓也 老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライター兼ボードゲーム制作者となる。趣味は神社仏閣・秘境巡りで、撮った映像をYouTube(Mystical Places in Japan)に掲載している。