娘のため「僕が仕事を辞める」

いつしか夫婦は子どもや家事関連のことでしか話をすることがなくなっていった。絹子さんの仕事が忙しくなるにつれて、夫と寝室を分けるようになり、やりとりは冷蔵庫に貼ってあるホワイドボードに書き込んだり、メールを送るだけになったという。

「あの時期は私が帰ってからも家で仕事をするようになり、寝る時間が合わないからと夫と寝室を分けたのですが、そこからちゃんと顔を合わせて話す機会は全くと言っていいほどなくなりました。

でも、そのときに離婚の話は一度も出なかったんです。顔を合わせていないので、離婚話をする機会がなかっただけなんですけどね」

そんな会話が一切なかった夫婦を変えたのは、娘と新型コロナだった。コロナ禍によって学校が休校となり、娘は自宅で学校から配布されたプリントでの学習をするようになった。その後に学校が再開するも、娘は学校に行きたがらず不登校に。娘を家で1人にできないことから、夫が仕事を辞めることになったという。

「休校になった時期は私たちの会社も在宅勤務に切り替えていたので、交代で娘の面倒を見ることができたのですが、休校中に家から出ない生活が続いたからか、娘は不眠というか睡眠の時間が不規則になり、生活リズムが乱れてしまったんです。夜中に起きていることが多くなり、学校が再開しても行きたくないと言うようになって……。そんな娘を放っておくわけにもいかず、話し合って夫が仕事を辞めて、娘の側にいるようにしてくれました」

そこから家族の関係は大きく変わった。

「夫が家庭に入ったことで、娘と夫が仲良くなり、私が除け者になってしまうかもしれないという恐怖もありました。もし離婚になったら、娘は夫につくんだろうなとか。でも、夫は私が遅く帰ったときにも子どもに何かあったときは報告するために起きて待っててくれたり、私と娘のスケジュールを調整して3人で一緒にいる時間を作ってくれたり。私のことをとても尊重してくれました。そのときにわかったのですが、夫はとても家庭的な人だったんです。出会ったときからお互いに忙しい仕事をしていて、ずっとお互いどこか余裕がなかったんだと思います。子どものことで結婚も急に決まりましたから。今、夫の新たな一面を知ることができ、結婚してから一番穏やかな日常を一緒に歩んでいけています」

専業主夫になることは夫からの提案だった。夫は「妻のように仕事が好きと言えない自分がいた」と絹子さんに語ったという。家族の役割は、向き不向きというシンプルなもので決めるほうが案外うまくいくのかもしれない。

取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。

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