転職を考え、「年収1000万円なら」と言い、呆れられる
直樹さんは45歳の時に、「このまま他人の会社に金を貸す仕事を続けていいのだろうか」と思い、転職エージェントに相談したことがある。
「当時、僕よりも10歳下くらいのIT社長が活躍しており、若者を束ねて会社をどんどん大きくしていた。東大卒の人もいたけれど、僕の卒業した大学よりも下のランクの人が、社会を変える大きな事業を起こしている。それなのに、僕はこのままでいいのかと思い、IT企業への転職を考えたのです。僕は起業するタイプではないので、他人が作った新しい世界に入ってみたかった」
当時、直樹さんの年収は1300万円だった。転職すれば、収入は減ることはわかっている。エージェントから希望の年収を聞かれ、「1000万円くらいまでならいいですよ」と言ってしまったという。
「向こうは“そんなにもらっている人はいませんよ。ベンチャーですから部長でも600万円くらいです”と言われて、転職は諦めました。半分以下になるなら、現状維持だと思ったんです。それと同時に、“組織ありき”ではない僕自身を探し始めました」
50歳になると、ある程度仕事にも余裕が出てくる。そこで、興味があることを片っ端からやってみた。銀行から禁止されていたSNSのアカウントを密かに開設し、学生時代の仲間と繋がった。蕎麦打ちや自然保全の活動に参加したり、街歩きのサークルにも入ったが、続かなかった。
「将来的に仕事ができるように、自動車の二種免許も取得しました。仕事は仕事として淡々とこなし、一生懸命自分探しをしましたが、結局、何も見つからなかった。妻に出会ったことくらいでしょうか」
直樹さんは、52歳で参加した教育関連のボランティアで同じ年の妻に出会った。同じ大学を卒業していることを知り、気が合いデートを重ねるようになる。妻には離婚歴があるが子供はいない。
「2人で箱根の温泉に行った時、妻から“お互いに一人の老後は不安があるから、結婚したらいいかもね”と持ちかけられたんです。僕は金目当てで女性から言い寄られたことが多い。妻に“僕はそのうち銀行を辞めるよ”と言うと、“いいじゃない。そのほうが自由で”と言ってくれて、自然な流れで入籍しました」
妻は都内の実家に母親と住んでおり、資産家でもある。直樹さんのお金を狙う理由はない。
「転職を考えた時、相場を知らず分不相応な年収を提示したり、資産家の妻に、僕みたいな一介の銀行員の有り金を狙われていると勘違いしたり、金の感覚で恥をかく人生は終わりにしようとも思ったのです」
それから、直樹さんは妻の紹介で、経済的に困難な高校生や大学生の支援活動を行なう団体や、人権保護団体の活動のサポートに入る。その活動が認められ、「職員にならないか」という声がかかったという。
「願ったり叶ったりで、早期退職制度も利用して、55歳の時に銀行を辞めました」
【コンビニのバイトとして、20歳の大学生に叱られる……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。
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