夫が買い集めた酒のミニボトル、工具はゴミ
知子さんは1947(昭和22)年、団塊世代のど真ん中に静岡県で生まれた。
「地元の商業高校を卒業後、集団就職で都内の製薬メーカーの工場で働き始めました。女子寮に住み、交代制で働くんです。昔の会社は手厚く、住むところから食事まで用意してくれて、さらに社員に勉強の機会を与えてくれ、私は簿記の2級を取ったんです。すぐに事務方に回されました」
そこで出会ったのが夫だった。
「彼は大卒で営業……今のMRだったんです。学会で地方に行くたびに、ハンカチやブローチをくれてデートをするうちに、25歳で結婚し寿退職。27歳で息子を、30歳で娘が産まれ、2人を大学に出すまでは大変な毎日でした」
今、息子は50歳で都内のIT関連会社に勤務しており、47歳の娘は東北に嫁いでいるという。
「娘のところに10歳の双子の女の子の孫がいますが、なかなか会えません。水泳だピアノだと忙しいし、婿さんはリバビリ病院に勤務する医師で、娘は理学療法士としてバリバリ働いている。高齢者の患者が多くてんてこ舞いみたいです」
知子さんの老後の問題は、近くに住み、子供がいない息子が自ずと担当することに。
「終活は家の整理からということで、2階を片付けることにしたんです。6畳2間と、四畳半にはモノが詰め込まれていました。最初のうち、息子は“何で片付けないの?”とプンプン怒ってばっかりいて怖かったですよ」
2階には大量の工具、専門書、昔の書類、5脚そろったティーセット、子供たちの図工の作品、ギター3本など、「よく床が落ちなかったな」と思うほど、ものにあふれていた。段ボール3個にぎっしりと詰め込まれたお酒のミニボトルは、中身を捨てて資源ごみに出した。
「主人はアメリカが好きで、アメ車のプラモデルや、ジーパン、バンダナ、ダンガリーシャツなどが大量にありました。ウエスタンブーツも50足くらいあったんじゃないかな。シルバーのアクセサリーは息子が売りに行って、30万円くらいになったそうです。これを資金に家庭菜園の撤去をしました」
知子さんも夫も、戦中戦後のものがない時代に育っている。何でも取っておくという生活習慣が、幼い頃から染み付いている。
「今の人みたいに、パッパカ捨てると、バチが当たると思いますよ。そんなことを言うと、息子に怒られそうですが」
半年かけて、家の中にあるものを捨てたら、気持ちが晴れたという。
「繊維がボロボロになったスキーウエアまでありましたからね。何でも取っておくことは良くない」
【スッキリした家で一人暮らしをしようと思ったが……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。