「孝行のしたい時分に親はなし」という言葉がある。『大辞泉』(小学館)によると、親が生きているうちに孝行しておけばよかったと後悔することだという。親を旅行や食事に連れて行くことが親孝行だと言われているが、本当にそうなのだろうか。
2024年12月21日、国立公園大山(鳥取県)で30代の登山中の男性が積雪で動けなくなり、自ら救助を要請。22日早朝から捜索活動が行われ、救助隊によって発見されたと報道された。男性は雪山で夜を明かしたものの、意識、呼吸があり、会話もできる状態だった。男性のスマホの電源は切れかかっていたが、GPS機能を搭載した雪崩ビーコン(トランシーバーの一種)を所持していたという。
甲信越地方で妻(73歳)と次男(45歳)と3人で暮らしている康夫さん(75歳)は「山の遭難のニュースを聞くと、心臓が締め付けられるような気持ちになる。僕の息子が遭難し、2日後に生還したのだけれど、捜索している間は生きた心地がしなかったから」と語る。
長男、長女は東京へ、次男だけが限界集落に残る
康夫さんは、甲信越地方の山岳地帯に住んでいる。生まれてから一度も集落の外に住んだことがないという。
「農協に勤めていたから出張でいろんなところに行ったけれど、ここ以外に住んだことがない。母ちゃん(妻)と結婚して、新婚旅行に宮崎に行ったが、家に帰りたくてソワソワしちゃって、怒られたこともあったなぁ」
先祖代々この土地に暮らしており、ここ以外に住むイメージがつかないという。子供は3人いて、長男と長女は東京の大学に進学し、そこで仕事も結婚もしている。次男は大学に進学せず、地元の建設会社に就職した。
「僕も母ちゃんも、“上の学校に行け”と言ったんだけど、次男は“ここにいたい”って言うんです。30年前から“限界集落”などと言われている地域ですが、僕は農協に勤めているし、母ちゃんの実家は林業や農業を営んでいて、金はある。3人の子供を大学に出すくらいは簡単なんですよ。それを言っても地元が好きだから残りたいと」
長男と長女は成績優秀で、県トップの進学校に通学する。
「彼らの下宿先は親戚の家。こっちが米や野菜、山菜を送っているからね。助け合いがあるんです。子供達も第二の実家ができたみたいで、いまだに親しくしている。長男と長女は”金を介在しない人間関係は貴重だ”と思っているようで、帰省するたびに親戚の実家に挨拶に行っているよ」
康夫さんの話を聞いていると、日本の地方に残る助け合いの精神と、社会の仕組みがわかる。
「昔、屋根の葺き替えなどを順番で行っていた、“結(ゆい)”という組織がまだ生きていますからね。みんなおじいちゃん、おばあちゃんになっちゃったけど。息子はこれにも参加して、よくやってくれているよ」
次男は現在45歳で独身だという。結婚しなかったのは相手がいなかったから。
「女の人はみんな東京に行ってしまう。残る子もいるけれど、“家の格”が違う子ばかりだった。同じような家でないと、うまくいかないんですよ。僕も母ちゃんも、家も田畑もある大きな家同士だったから、結婚できたんです。これは後で親父に聞いたのですが、母ちゃんが小学校の頃から“息子の嫁にほしい・あんたのところに嫁がせたい”と親同士話がついていたそうです」
康夫さんの妻は、隣の集落出身だ。康夫さんは村役場と学校がある地域で生まれ育っている。隣の集落の子供は山道を1時間以上かけて登校するために、クラスも違い直接の交流はなかった。
「僕が昭和24(1949)年生まれで、母ちゃんは26年だからそもそも接点はない。それに、昭和30年代は子供も多くて、クラスが3つあったんです。町の子と集落の子はあまり接する機会もなかったんですよ。高校時代の吹奏楽部で、先輩と後輩として出会い、“可愛い子だな”と思った女の子と、25歳と23歳で結婚するんですから、僕は本当に幸せな人生です」
【次男には大学に行って欲しかったが…次のページに続きます】