いびつになった胸を見ても、夫に求められることが嬉しかった
女性ホルモン陽性の乳がんだった佳菜子さんは、人工的に卵巣機能を抑えて、閉経に近い状態を作って治療を行うことになった。女性ホルモンを養分として増殖する乳がんだったからだ。閉経に近い状態を作る、ということは妊娠はできない状態になるということ。乳がんになったことと同じぐらい、この事実に佳菜子さんはショックを受けたという。
「ステージとがんの悪性度が低くて抗がん剤はしないで済んだのですが、治療方針によって10年間も妊娠できないことが決まってしまった。何もオブラートに包まない表現になってしまうのですが、“あぁ、女性として終わったんだな”って思いました。
私の担当医からは妊孕性の話も、卵子凍結の話もされませんでした。手術のために入院をして、その後すぐに放射線治療で1か月ほど病院に通い続け、同時に投薬治療が始まりました。目の前のことをこなすだけで必死で、治療の選択肢を選ぶという考えさえありませんでした」
放射線治療の後遺症はあったものの、手術をした後にすぐ日常生活に復帰できたという。周囲には良性の腫瘍の切除手術と嘘をつき、職場の上司にだけ事実を伝えていた。
「放射線治療は毎日行かないといけなかったので、上司にだけ本当の病気のことを伝えました。それ以外にがんと知っているのは、家族だけです。友人からかわいそうと思われることが怖かったので、言えませんでした。乳がんの罹患率が上がるのは40代以降なのに、私は30代前半になって、同情対象になってしまったと思ったからです」
日常生活を送る中で、家族は普通に接してくれていた。佳菜子さんの夫も普通の態度だった。夫婦生活は放射線治療の肌の痛みやかゆみ、色素沈着が落ち着いたときに復活した。
「放射線治療の痕よりも、私の胸は部分切除で傷事態は小さかったものの、左右差が大きく目立っていた。傷の部分は硬くなっていて胸のような柔らかさもなくなっていました。その胸については夫に隠さずに見せていたのですが、そんな胸の私を求めてくれることが嬉しくて、行為が復活したときはまた元のように戻れると思っていました」
偽閉経になったことで30代の佳菜子さんは更年期障害の症状が出てくる。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。