「絶対に大学に行かない」という次男を叱責した
康夫さんは、自分の地元を愛しているが、地域としての成長は見込めないことに気づいていた。だから子供達を進学させようと躍起になっていたという。
「1970年代に橋がかかり、1980年代に道路ができて、人が街に引っ越していった。目に見えて人が減っているので、この地域はもう終わりだと思ったんです。そして、息子が小学校に上がる頃には、僕の時代よりも、人口が半分以上減った。だって、小学校のクラスが1クラスにも満たないんだもの。林業も繊維業も外国産に押されて、みるみる衰退していった。“ああ、もう先はない”と思って、子供達を東京に出すと決意したんです」
元々、この地域は教育水準が高い。康夫さんはそれでは足りないと通信教育を申し込み、家族全員で勉強に向かうように働きかけた。それだけでなく、3人の子供達に、作文や書道のコンクールに積極的に応募させ、表彰などで県外や東京に行く機会をできるだけ与えた。
長男と長女はその期待に応え、県内トップの高校に合格。2人とも東京の国立大学に進学した。
「次男は勉強をしない。机に向かわせようとしても、すぐ抜け出して、母ちゃんの実家に行き、うさぎ猟の手ほどきを受けたり、山菜名人の爺さんの家に入り浸って、山に入ったりしていた。うちには両方に柄がついた包丁があるんだけど、これは昔、蚕を育てていたときに、桑の葉っぱを細かく切るのに使ったものなんだ。これも次男がどっかの家から譲り受けてきたんだよ」
次男は自宅から最寄りの高校に進学し、「絶対に大学には行かない」と言い張った。
「僕も母ちゃんも絶対に大学に入れたいから、目を三角にして怒った。あんなに怒ったのは、後にも先にもこれっきり。でも、どれだけ諭してもテコでも動かない。高校3年生の夏頃から次男は家に帰ってこなくなり、こっちがぼやぼやしているうちに地元の建設会社に就職を決めてしまった」
次男は友達の家を泊まり歩いていた。その家の親から「あんたの息子、うちに泊まっているから」と連絡が入ってきたという。
「次男は地元の老人に人気があり、地元にしかない田楽(農作業の間に歌う曲)や、室町時代が発祥の楽器の作り方や踊りを教えてもらっていた。次男が20代前半の頃に、どっかの大学の教授がわざわざ訪ねてきて、田楽のことを聞いていたなぁ。まあそういう子なんです」
建設会社に入ると、二級建築士の資格も取得し、仕事に邁進した。いつまでも実家にいて、結婚する気配もなかった。
「長男・長女のところにいる孫2人が小学生の頃、夏休みの2週間ウチで預かっていたんですが、次男はあの子たちとよく遊んでいたから自分の子供はどうでもよくなっちゃったのかな。今2人は大学生になっているんだけど、今年の正月も“おじちゃん、おじちゃん”と次男にまとわりついていたからね」
【次男が山菜を取りに行ったきり、2日間帰ってこなかった……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。