「孝行のしたい時分に親はなし」という言葉がある。『大辞泉』(小学館)によると、親が生きているうちに孝行しておけばよかったと後悔することだという。親を旅行や食事に連れて行くことが親孝行だと言われているが、本当にそうなのだろうか。
2024年12月21日、国立公園大山(鳥取県)で30代の登山中の男性が積雪で動けなくなり、自ら救助を要請。22日早朝から捜索活動が行われ、救助隊によって発見されたと報道された。男性は雪山で夜を明かしたものの、意識、呼吸があり、会話もできる状態だった。男性のスマホの電源は切れかかっていたが、GPS機能を搭載した雪崩ビーコン(トランシーバーの一種)を所持していたという。
甲信越地方で妻(73歳)と次男(45歳)と3人で暮らしている康夫さん(75歳)は「山の遭難のニュースを聞くと、心臓が締め付けられるような気持ちになる。僕の息子が遭難し、数日後に生還したのだけれど、生きた心地がしなかったから」と語る。
【これまでの経緯は前編で】
「どうか助けてください」と妻と不眠不休で祈り続けた
平穏な3人暮らしに異変があったのは、5年前だ。次男が山菜採りに行くと言ったきり帰ってこなかったのだ。
「高値で売れるゼンマイが出る4月後半の土曜日、わざわざ仕事を休んで、次男は山に行った。その日、母ちゃん(妻)は何か胸騒ぎがしたらしく、“明日にしなさいよ”と言ったのですが、“今日行かないとダメだ”と言い出かけたんです」
次男は山を熟知している。ところが夕方になっても帰ってこない。心当たりの場所に次男の車はない。車ごと神隠しに遭ったようだったという。
「携帯も繋がらないので、これはダメだと駐在さんのところに行ったら、救助隊を手配してくれた。ただ、夜になっていたので、その日は捜索をしないと。その日は春とはいえ底冷えする夜で母ちゃんと2人で近くの神社に行って、“どうか助けてください”と夜通し祈っていた」
まだ雪が残る極寒の夜、屋外の神社で70歳と68歳が不眠不休で祈れば体調を崩す。康夫さんの妻は翌日倒れてしまい、病院に運ばれた。康夫さんは、地元の老人たちと心当たりの場所を散策。全く手がかりはなかった。絶望に言葉も出ない康夫さんの手を取り、「あいつは必ず生きている。山の達人だから」と励ましたのは、地元の仲間たちだった。
「その日の夜も冷え込みが厳しくて、“あぁ、もう死んでしまったのかもしれない”と思い覚悟を決めた。次男はもう死んだ、と腹が決まると、次男がどれだけ私たちに幸せをくれたか、親孝行をしてくれたか、いろんなことに気づく。石油ファンヒーターの油が切れないようにしてくれたとか、ちょっとした料理を作ってくれたとかね」
自宅には次男の生活の痕跡が残っている。それを見るのも辛く、妻の実家に泊まらせてもらったという。
「遭難から2夜が過ぎた日の昼、朦朧としているところに警察から電話がかかってきたんです。“取りたくない”と思って電話に出たら、次男が助かったという。自力で下山したところをたまたま通りかかった車が見つけ、病院に搬送されたと。それを知ったときは、一生分泣きました。みんなで大泣きして、母ちゃんに知らせたら“良かった”って泣いている。あんな恐ろしげなことが、自分の一生にあるとは思いませんでした」
【それでも次男は山菜を取りに行く……次のページに続きます】