結婚は苦労の入り口、暗黒の30代を過ごす
妻とは話し合いの上、離婚になった。結婚5年目で、息子は4歳だった。
「妻が引き取るといい、母親のもとで育ったほうが、子供は幸せだと思ったので、応じました。でも1か月もしないうちに“返したい”とウチに息子を連れてやってきた。僕は息子に未練があったので、本当に来たときは嬉しかった。実家に相談すると、子育てを手伝うといってくれました。会社に事情を話して、楽な部署に異動させてもらい、子育てしながら会社員をすることになったのです」
出世への欲望を手放し、ライバルを意識しなければ、会社員生活は楽そのものだという。
「大手で給料は悪くない。福利厚生もしっかりしていて、子供関連の手当が出る。会社の保養施設は皆が忙しいので使い放題状態でした」
ただ、出世している同期に遭遇すると、時折「こんなはずじゃなかった」と落ち込んでいた。
「バックオフィスの管理部門的なところは一段下に見られる。ライバルだった男が、大きなプロジェクトを動かし、颯爽と歩いているところを見ると、いいなと。心の底から羨ましくなり、吐きそうになりました。経験を重ねれば、見える世界が変わる。一段も二段も上の世界を見るために生きているのに、僕は地を這っている。“あのとき結婚しなければ、この苦労はしなかった”とめまいがしそうな嫉妬に苦しみつつ、息子の笑顔を思い浮かべてやり過ごす。僕の人生は、他人から見ると恵まれていると判断されますが、暗黒の30代を過ごしました」
いつかそれが抜ける日は来る。それが45歳だった。
「自分の中にあった欲望というものが、ふと消える瞬間があったんです。色欲がなくなると、本質が見えるようになる。自分の中で何かが解決する瞬間がありました。欲望は人生を前進させる起爆剤ですが、年齢を重ねてそれを持っていると、道を見誤る」
息子も中学生になっていて、手は離れてきた。そのとき、会社にちょっとした不祥事があり、武志さんはその後始末に寝食を忘れて専念。成功させたら会社での立場が変わってきたという。
「役員コースは消えましたが、割といいところまで行けるという手応えがあったのです。その後も不祥事後始末の仕事を続けるようになり、会社からも重用されるように。仕事も充実して楽しく、60歳で定年を迎えました」
友人もいて、趣味もある。仕事人間ではないから定年後の人生は楽しいと思っていたが、そうではなかった。
【会社名がなくなると、友達は消えていった……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。