50歳の息子が1歳の孫を連れて家に来た
当時60代だった常連客の仕事は、アパレル関連の会社経営だった。敏志さんは、このビジネスに未来がないことを見抜き、5年間で人員整理をして、会社を売却する提案をしたという。
「社長も先がないことが見えていた。黒字のうちに売却することにしたんです。従業員にはたっぷり退職金を渡し、子供がいない社長にはマンション一棟に資産を集約させて、僕は退職金としてそれなりのお金をもらいました」
その後、古巣のホテルに頼まれてアルバイトをしたり、イベントのマネージャーをしたり、地方自治体のサポート要員になったり多忙な10年間を過ごす。
「社長夫妻も70代になっていたから、暮らしの手伝いは時々していました。近所にいましたしね。61歳のときに弁護士経由で、社長夫妻が死んだら遺産としてマンションを譲りたいと言われました。僕が“大それた財産をいただくわけにはいかない”と断ると、社長夫妻は“私たちが死ねば、顔も見たことがない親戚に全て取られてしまう”と言うので受けることにしたのです」
敏志さんは社長夫妻の正式な後継者となり、最後まで看取った。最後は老老介護の様相だったという。
「落ち着いたのは、67歳のとき。“これでたった一人になるんだ”と。ふと、3年前に開設して以来、放置していたSNSのメッセンジャーを見ると、1年前から“息子です”とメッセージが入っている。驚いて通話機能で電話すると、“会いたい”と言う。その日の夜に新宿で会うことにしました」
息子は43歳になっていた。東京の大学を出てから、大手企業に勤務していて、独身だという。会えなかったのは、元妻が連絡先を教えなかったから。息子は探偵を雇ったこともあったが、敏志さんの消息がつかめず、SNSで探していたそうだ。
「息子は“お父さん”と泣いていた。そして、“詐欺じゃないよ”と僕が彼にあげた、昔の超合金のおもちゃを持ってきた。養育費のお礼を言われ、うるっときちゃった。元妻は別の男と再婚していました。養育費を払う必要もなかったんだけど、払い続けてよかった。僕は貧乏だったから“金は愛情”だと思って、送り続けた。息子はそれを受け取ってくれていたんです。以降、時々会うようになり、息子が48歳で授かり婚をしたときも、ご祝儀を渡すことができました」
それから1年、孫が生まれたのは知っていたが、親がしゃしゃり出ても新婚家庭には迷惑だろうと自分から連絡はしなかった。しかし、1年前の夜中に「お父さん、助けて」と連絡があったという。
「なんだろうと車を飛ばして、息子のマンションに行ったら、室内が散乱しており、火がついたように孫が泣いている。2人はウチに避難しました。お嫁さんは44歳で初産をしてから、慣れない子育て、睡眠不足、仕事が思うようにできないことなどで、息子に八つ当たりをしていた。孫にも“お前がいなければ私は仕事ができたのに”と言うようになり、虐待めいた行動をするようになったそうなんです」
行政や警察の介入もあり、嫁は子育ての継続が困難だとわかり、離婚することになった。親権を放棄するといい、息子が育てることになったという。
「それで、結局、私が孫の面倒を見ています。10年付き合っている私の恋人(65歳)は子供がおらず、“かわいいわね”と笑っている。昔は余裕がなくて、我が子に興味が持てなかった。でも、年を取ると時間やお金にゆとりしかない。ただひたすら、孫が可愛いと、見ていられるんです」
それは、孫が息子の幼い頃に似ていることもあるという。
「結局、親は我が子が一番かわいい。息子は51歳のおじさんなのに、すごくかわいいんです。今、孫は歩き始めて、目が離せない。この子にもしものことがあったら、息子が悲しむ。72歳にして初めて実感する父性愛ですよ。育児はやみくもに頑張るしかないですね。高校を辞めたとき、商社に拾われたとき、ホテルマンになって英語を勉強しているときの“あの感覚”を思い出す。“これをやらねば、社会的に抹殺される”という恐怖。それに打ち勝つ情熱が自分の中にまだあったことに驚いています」
敏志さんは「親を頼るのも、親孝行だ」と言う。今、世の中は親子間であっても、迷惑をかけてはいけないという風潮があると感じているそうだ。「そこを乗り越えて、頼ってもらえるのも嬉しい」と話していた。しかし、子育てはきれいごとだけではない。ただ、幼少期に苦労した敏志さんは、根性の出しどころを知っている。おそらく体力と気力の限界を超えて、息子と孫を愛していくのだろう。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。