今の時代、サライ世代にとって「生きやすい世の中か」と問われたら、決して「生きやすい」とは答えられないように思います。それどころか、次第に「生き辛さ」が増しているようにも感じられます。その理由の一つが、社会通念の変化ではなかろうか? と思うのです。
それは、親や先輩、師と仰いだ人たちから指導を受け、身につけた「常識」が大きく変移しているからではないでしょうか? 別の言い方をするならば、社会を円滑に生きるための「世渡りの術」が、機能しなくなってしまった感じがいたします。
しかし、私たちが大きな変移と感じていることも、百年、二百年という単位で見れば、意外と小さな変化なのかもしれません。そのことは、今を生きる人々へ影響を与え続ける先人たちの名言や金言が物語っているように思います。
第24回の座右の銘にしたい言葉は「情(なさ)けは人(ひと)の為(ため)ならず」 です。
目次
「情けは人の為ならず」の意味
「情けは人の為ならず」の由来
「情けは人の為ならず」を座右の銘としてスピーチするなら
まとめ
「情けは人の為ならず」の意味
「情けは人の為ならず」について、『⼩学館デジタル⼤辞泉』では、「人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくる、ということ。」とあります。
「人の為ならず」は「人の為ではない」という意味で、「人の為にならず」と解し、人に親切にして甘やかすのはその人の為にならない、という意味ではありません。この言葉は、他人に対して善行を行なうことの重要性と、その行為が巡り巡って自分にも良い影響を及ぼすことを示唆しています。
「情けは人の為ならず」の由来
この言葉の語源や由来に、はっきりしたものはありません。とはいえ、用例が見つかっている書物は複数あります。例えば、1370年頃の軍記物語である『太平記(たいへいき)』には、以下のような記述があります。
「今の師直鎧を与へずは、上山命に代らんや。情は人の為ならずとは、加様の事をぞ申すべき」
また、1643年の『仮名草子(かなぞうし)』にも
「あくは人をあしくするにあらず、情も人のためばかりにてなし。めぐりては皆、我身へのなさけなり」
という記述があります。いずれにせよ、古くから使われていた言葉と考えられます。
また、この言葉には続きがあるとも言われています。旧五千円札にも描かれた新渡戸稲造の著書「武士道」を現代語訳した、『[新訳]一日一言「武士道」を貫いて生きるための366の格言集』の中には、以下のようにあります。
「施せし情は人の為ならず おのがこゝろの慰めと知れ
我れ人にかけし恵は忘れても ひとの恩をば長く忘るな」
「情けは人の為ではなく、自分自身のためにかけるものだ。自分が人に良くしたことは忘れてもよいが、人から良くしてもらったことは忘れてはならない」という意味です。この続きの部分まで見ると、「情けをかけると人の為にならない」といった誤用は避けられるのではないでしょうか。
「情けは人の為ならず」を座右の銘としてスピーチするなら
スピーチするときには言葉の意味や、実生活への応用について体験談を交えると聴衆に響くものとなるでしょう。以下に「情けは人の為ならず」を取り入れたスピーチの例をあげます。
職場での助け合いについてのスピーチ例
今日は私の座右の銘、「情けは人の為ならず」についてお話ししたいと思います。この言葉は、一見すると他人のためにはならないという意味に聞こえますが、実は全く逆で、他人に親切にすることで自分にも良いことが返ってくるという教えです。
彼が新入社員だったころ、あるプロジェクトで非常に困難な課題に直面していました。その時私も抱えている仕事がありましたが、それを中断して彼の仕事をアシストしました。その結果、私たちは一緒に素晴らしい成果を上げることができ、チーム全体の評価も向上しました。最終的には自分の評価にもつながり昇進を果たしました。
心理学的にも、他人を助ける行為は自己満足感を高め、ストレスを軽減する効果があると言われています。皆さんも日々の生活で「情けは人の為ならず」を実践してみてください。
まとめ
「情けは人の為ならず」という言葉は、他人に対する親切が巡り巡って自分に良い結果をもたらすという深い意味を持っています。この言葉を座右の銘にすることで、日常生活の中で他人に対する親切を積極的に行なうことが奨励され、結果として自分自身の幸福や社会全体の安定につながります。皆さんも、ぜひこの言葉を日々の生活に取り入れてみてください。
●執筆/武田さゆり
国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com