取材・文/ふじのあやこ
一緒にいるときはその存在が当たり前で、家族がいることのありがたみを感じることは少ない。子の独立、死別、両親の離婚など、別々に暮らすようになってから、一緒に暮らせなくなってからわかる、家族の大切さ。過去と今の関係性の変化を当時者に語ってもらう。
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株式会社アシロが運営する「ベンナビ離婚」では、養育費に関するアンケート調査(実施日:2024年4月2日~2024年4月4日、有効回答数:離婚歴があり、子どもの親権を持つ女性300人、インターネット調査)を実施。調査によって、養育費を「毎月もらっている」と回答した人は36.3%のみで、「一度ももらえていない」と答えた人は32.7%であり、「過去数回のみもらったが、その後はもらえていない」(15.0%)、「数か月に一度しかもらえない」(3.7%)を含めると約半数が養育費をちゃんともらえていない状況にあることが明らかになった。
今回お話を伺った茜さん(仮名・43歳)は、物心がついた頃から父親はおらず、養育費をもらえないために母親は常に仕事で家にいなかった。
9つ上の姉に育ててもらった
茜さんは母親と9歳上の姉との3人家族で、姉とは異父姉妹。母親はバツイチで、姉は婚姻関係のない相手との子どもだった。
「母は付き合っていた男性との間に子どもができたんですが、相手の男性が逃げてしまって結婚せずに姉を産みました。その後、私の父親と結婚して私が生まれました。この話は母親からではなく、祖母から聞いた話です。
姉とは父親が違っていて、顔も性格もちっとも似ていなかったけれど、姉妹の仲はよかったです。母親はほとんど家にいなかったけれど、姉がいたから寂しくはありませんでした」
母親は仕事を理由に、夜遅く家に帰ってくることが多かった。あまりに顔を合わせなかったからなのか、母親に対して人見知りをしてしまっていたと振り返る。
「母親と顔を合わすのは朝の一瞬で、そこでもおはようと挨拶するぐらい。夜は私が寝た後に帰って来ていて、1日で顔を合わすのは朝の数十分のみでした。だから、仲が深まることもケンカすることもなくて、他人みたいな距離感になってしまっていました。たまに家に母親がいるときには、すごく居心地が悪かったです。母親が話しかけてくれても、『うん』とか返事しかできなくて、会話も広がりませんでした。私と母親は姉が間にいないと、会話さえも成立しなかったんです」
姉は23歳のときに職場で知り合った男性と結婚した。茜さんはまだ中学生だった。姉が家を出たことで母親との2人暮らしが始まったが、生活費として毎月3万を渡されるだけで、一緒に食事をすることもなかったという。
「姉がまだいたときには、母親は姉と私の2人分の食費を姉に渡していました。姉が社会人になってからは、姉が実家に入れるお金を母親は受け取らずに『それで妹の世話をして』と言っていたようです。
母親と2人になってから、母親は月末になると3万円をテーブルに置いていくようになりました。私は食事や服、学校で必要なお金をそこから用意しました。学校のお金は母親に頼めば別で用意してくれたと思いますが、頼みたくなかったんです。学校で親が必要なときも姉に来てもらっていました。学校側には片親で母親は仕事で忙しいことを考慮してもらって、成人しているきょうだいだったらと許可をもらっていたので」
【姉夫婦の家で暮らすようになって、母親との縁は途切れた。次ページに続きます】